歴史

書評:『幕臣たちの明治維新』(安藤優一郎著、講談社現代新書)

幕臣たちの明治維新 (講談社現代新書 1931) 幕臣たちの明治維新 (講談社現代新書 1931)

著者:安藤 優一郎

販売元:講談社
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本屋で気軽に手をとって思わず買ってしまった本。近代史の本にはどうしても手を出したくなってしまう。 

さて、本書は、明治政府成立後の徳川家家臣(幕臣)たちのその後を取り扱った本である。勝海舟、榎本武揚、渋沢栄一等の一部幕臣が明治治世下でも活躍したことは知られているが、大多数の旗本・御家人たちが明治以降どのような運命をたどったのか、一般に知っている人は少ないと思う(私もその一人)。そうした敗者の歴史を辿ったものとして興味深い本である。

明治政府の命で静岡に移った徳川家は家臣たちに、明治政府への出仕、自分で農業や商売を始めるという選択肢も与えたが、ほとんどの家臣は、静岡藩が財政逼迫で大幅なリストラが必要だったにもかかわらず無禄覚悟で静岡に移住する途を選び、結果として過酷な生活を強いられた。自分で商売等を始めた家臣もその多くは厳しい生活を送った。明治政府に出仕した者も人々から白眼視された、という。その他、幕臣たちは人材の宝庫で明治政府からのヘッドハントがあったこと、明治政府の中級以下の官僚の多くが旧幕臣だったこと、幕府のお膝元東京では反明治政府の裏返しとして西南戦争での西郷人気が高かったこと、そして明治22年に開催された東京開市(=家康江戸入城)300年祭は幕臣も集まったほか江戸を懐かしむ沢山の市民で大人気を博したこと等が語られている。

我々が知る薩長等の勝者の歴史と異なる、一般に知られない敗者たる幕臣の歴史、加えて当時の東京の人々の幕府への思慕を要領よく分かりやすく書いている。気軽に読みこなせるのは、さすがに講談社現代新書といったところだ。ただ、手軽さを意識したのだろうか、大まかな点だけが語られている感があり、敗者の歴史として読むには内容にやや物足りなさを覚えた。例えば、一般の旧幕臣たちが明治政府の治世で何を思って生きたのか、彼らの生の声をもう少し取り上げても良かったのではないか(本書の記述からある程度は想像可能だが)。また、本書で一部が取り上げられている山本政恒の自分史の記述も興味深く、これを中心に据えて書いても面白かったのではないかと思う。

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先月、他に読んだ本

最近、書評のエントリーが多くなっているが、読んだ本すべてについて書評を書いているわけではない。先月は、たとえば、次の本を読んだ。

  まず、坂野潤治「未完の明治維新」(ちくま新書)。

未完の明治維新 (ちくま新書 650) 未完の明治維新 (ちくま新書 650)

著者:坂野 潤治

販売元:筑摩書房
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著者は日本近代政治史の学者で、田原総一郎との対談等も出している人。大正~昭和前期の歴史家というイメージを勝手に持っていたのだが、本書は明治維新期(1864-1880)の政治の図式を扱っている。簡単に言うと、明治維新の構想は、4つほど異なったものがあった。それは、 

       
  • 強兵論(幕末は佐久間象山に始まり、西郷隆盛らに代表される)
  • 富国論(幕末は横井小楠に始まり、大久保利通らに代表される)   
  • 議会論(幕末は大久保忠寛に始まり、板垣退助らに代表される)   
  • 憲法制定論(木戸孝允らに代表される) 

の4勢力である。これらのせめぎ合いで明治維新期の政治は動く、というほど単純な説明ではないが、本書は、これらの4つの基本構想に基づいて幕末~明治初期の政治を整理しており、私にとって政治的な動向がやや分かりにくかった時期に対して良い見通しを与えてくれた。

 

もう一冊は、 小島毅「靖国史観」(ちくま新書)。

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書 652) 靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書 652)

著者:小島 毅

販売元:筑摩書房
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  本書も歴史学者の手によるものだが、とかく問題となりやすい靖国問題について、他の書物とは別の角度から、靖国神社とは元々な存在なのかを明らかにしている。具体的には、 

「国体」「英霊」「維新」 

という、靖国神社に関係する3つの語の意味を明らかにしながら、靖国神社がどういったものかを明らかにしている。新しく知ったことも多く、靖国神社について良い視点を提供してくれたように思う。(そういえば、本書でも触れている三土修平氏の靖国本(以前、大澤真幸氏が評価していた)は積読のままである。) 

これらについては書評を書く余裕がなかったのだが、良書と思ったので、記録としてここに載せておく。

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書評:「昭和天皇」(原武史著、岩波新書)

昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111) 昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111)

著者:原 武史
販売元:岩波書店
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本書は、「お濠の内側」で行われる宮中祭祀の観点を中心に、昭和天皇像を描き出そうとするものである。

 

そこに主に示されるのは、一時期のブレはあるとはいえ、戦前・戦中・戦後を通じて、(著者によれば「創られた伝統」にすぎない)宮中祭祀に重きを置き、皇祖神に祈ってきた昭和天皇の姿である。それは、単に、真面目さとして片づけられるものではなく、東宮御学問所における杉浦重剛らによる教育の影響とともに、(神がかり的で「神罰」を恐れるで)実母である皇太后(貞明皇后)との間の(確執ともいえる)関係にとらわれたことの影響があったことが示される。そして、太平洋戦争中は勝利を神に祈り、終結においても「三種の神器」を守ることを第一とし、戦後も、先の戦争に関して平和の神である伊勢神宮に戦勝を祈願したことの過ちについては謝罪した、そのことが戦後も宮中祭祀にこだわった理由の一つであった、と昭和天皇の行動を皇祖神への姿勢との関わりから説明している。

 

私は政治・外交(=お濠の外側)の視点ばかりから昭和史の本を読んできたが、そこに示される立憲君主としての昭和天皇とは違った姿が示されていて、一気に読んだ。専門家等にとっては物足りない部分があるかもしれないが、一般の読者にとって大変興味深く読める本であると思う。本書は、昭和天皇の行動すべてを宮中祭祀で説明できるといっているわけではなく、昭和天皇の一面に光を当てるものにすぎない。決して馬鹿馬鹿しい内容ではなく、昭和天皇の発言などの史料に基づいたものである。もちろん、本書の内容は著者個人の解釈を免れるものではないが、そもそも利用できる史料が限られている以上、やむを得ないであろう。

 

ただ、若干の違和感も残る。著者は、昭和天皇の、戦中だけでなく戦後の発言について、神が第一で国民は二の次であった旨のフレーズを何度か繰り返し、最後に、日本国憲法の理念と矛盾する宮中祭祀を続ける今上天皇に触れ、「昭和は終わっていない」と言って本書を終えている。しかし、本書から受ける昭和天皇の姿は、置かれた環境に大きく影響された一人の個人の姿である。天皇が代わり平成になり20年が過ぎる今、著者の言うように「昭和は終わっていない」という問いはどこまで有効なのだろうか。

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書評:雨宮昭一「占領と改革」(岩波新書シリーズ日本近現代史⑦)

占領と改革 (岩波新書 新赤版 1048 シリーズ日本近現代史 7) 占領と改革 (岩波新書 新赤版 1048 シリーズ日本近現代史 7)

著者:雨宮 昭一
販売元:岩波書店
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岩波新書のシリーズ日本近現代史も本書で7冊目を迎え、戦後に突入した。同シリーズはどの本も勉強になる。 

本書の内容は、おおむね以下のとおりである。

 
       
  • 第二次世界大戦における日本の敗戦後の占領と改革の時代について、これまでは、「被占領国の下層の人々までが支持する成功した占領である」、「自由と平等と脱貧困の達成であった」、あるいは「占領改革で日本のすべてが変わった。日本の戦前・戦時に採るべきものは何もない。日本の戦時体制は連合国とは何の共通性もない。日本の主要な政党やリーダーはまったく古くて何も変えようとしなかった」というように語られたり、認識されてきた。本書は、本当にこれでよいのか、と問いかけ、これと別の語り方を提示するものである。
  •    
  • 上で述べたような、占領政策が日本のすべてを変えた等のこれまでの語り方(著者はこれを「無条件降伏モデルのサクセスストーリーとしての語り方」と呼ぶ。J・ダワーの『敗北を抱きしめて』はその例)は、GHQなどの外から与えられたイメージによったり、経験と願望を投影する形で行われてきたものであり、社会全体の構造の変化に伴い、今日、部分的、主観的、恣意的に感じられるようになっている。戦後を持続した最も有力な力は国際体制レベルにおける戦勝国のシステムであるとの視点を持つなど、国際関係、政治、経済、法などのすべての領域のシステムが相互作用するものとみて戦後を見ていく必要がある。
  •    
  • 上記のサクセスストーリーとしての語り方を相対化するため、(ア)占領によって「改革」されたといわれるものについて、戦後、戦時、敗戦直後にその契機があったのか、なかったのか、(イ)あったとすれば、「総力戦体制下での敗戦による変革」と「占領による変革」と明確に区別することによって、占領がなくても民主化を推進し得たか否かを検討する。
  •    
  • まず、(1)社会に関しては、日本ではすでに総力戦体制(国家総動員体制)によって社会が変革されていたこと、、(2)政治に関しては、戦時中に、(a)国防国家派,(b) 社会国民主義派、(c)自由主義派、(d)反動派の4つの政治勢力があり、うち(a)(b)が総力戦体制の推進派、(c)(d)が反対派であったが、東条内閣総辞職において後者が勝利し、これによってはじめて敗戦(終戦)が可能となったこと、の2点は戦後の原点といえる(第1章)
  •    
  • GHQの下で行われた改革のうち、婦人解放、労働組合結成奨励、農地改革等)については、総力戦体制の中で下地が作られてきており、占領がなくても実現しえただろう。また、教育改革については、日本でも臨戦期以前は自由主義的に行われておりその下地があったし、財閥解体については、軍国主義の温床の解体ということではなく、アメリカの独禁法の考え方を日本に適用したものであるといえる(第2章)。
  •    
  • また、新憲法も、押しつけであることは否めない事実であり、占領という厳然たる戦争継続状態の中で敗戦国たる日本が受け入れなければならなかった形態であったことは認めなければならないが、主要政党や日本政府からの草案が(GHQのいったように)旧態依然で戦前の憲法と変わっていないということはなく、最も保守的な政党の草案ですら、明治憲法とは圧倒的に違う内容であり、日本人による自己変革は可能であった(第3章)。
  •    
  • さらに、社会的あるいは政治的な指導者の戦後へ向けての動きも、昭和15年8月15日の敗戦や同年10月の人権指令を受けて始まったというのは一種の思い込みであって、実際にはそれ以前からすでに社会運動の指導者や政党は動き出していた(第4章)。
  •    
  • 片山内閣・芦田内閣で政権についた「中道」(民主党、社会党、国民協同党など)の政策は、協同主義で、総力戦体制形成時の社会国民主義と共通しており、ニューディーラーたちが支配するGHQ民政局もこれを支持していた。他方、その次の第二次吉田内閣(自由党)は、自由主義者である。このような「自由主義と協同主義との対抗は、アメリカ国内、GHQ内の二つの傾向ともからむが、冷戦によって前者の勝利となる。これは反東条連合勝利の再版であった。」(p173)(第5章)。
  •    
  • その後、共産主義を封じ込めるという米国の冷戦戦略に規定される国際体制の影響下で、日米安保体制が形成され、これを認めるのか否定するのか、改憲か護憲かをめぐって、「保守」対「革新」という形での五十五年体制が形成され、他方、経済においては民需中心の経済の展開される中ほとんどの政党が生産の近代化・効率化を主張していく。そこでは、中道内閣で見られたような福祉国家につながる協同主義等が封印されていき、「保守」たる自民党の中に自由主義と協同主義、政治的潮流でいえば、上で述べた(a)(b)(c)(d)のすべてが含まれていった。「冷戦が終わる時、保守も革新も分解を始めるだろう。」(p188) (第6章)。
 

歴史家ではない私にとって、本書は新鮮な見方を提示しているもののように思われる。それは何より、米国による占領よりも戦前と戦後の連続性を重視して、戦後直後の諸改革や政党政治をとらえていることである。

 

もちろん、野口悠紀夫の1940年体制論の見られるように、戦後の体制には総力戦体制に由来するものが多く残ってきた、という指摘はこれまでもあったし、また、政治勢力としても、岸信介のような革新官僚が「保守」政治家として政権を担ってきたことは周知の事実である。しかし、歴史を見るとき、どうしても1945年8月15日の前後で大きな断絶があって、戦後日本の体制の構築には占領軍による改革の影響が大きいものと思いがちである。

 

しかし、本書は、戦中の政治勢力の構図と彼らのその後の動向、そして彼らの主張を追うことによって、占領期の改革が、戦前・戦中から戦後への連続性の中に位置づけられることを明らかにしている。つまり、戦前・戦中から存在した「総力戦体制を支えた国防国家主義+社会国民主義」と「自由主義+反動派」の対立の構図は、戦後も引き続き政治の場で「協同主義」対「自由主義」の形で継続した。そして、前者の考え方は、アメリカのニューディーラー(GHQ民政局を主導)の考え方と近いものであって、占領期にGHQの下で行われたとされる多くの改革も、総力戦体制の流れの中でいずれ実現しえたものであったことが示されるのである。(なお、世で多く信じられている、『「戦前の専制主義・封建性」対「戦後の自由主義」』、「占領と改革による日本の成功」という思い込みは連合国の作り上げた言語空間であったと本書は主張する)。

 

この「協同主義」対「自由主義」の構図は、西欧では、「社会民主主義」政党と「自由主義」政党の対立の形で議会制において顕在化しているものであるが、日本では、これが、米国による国際秩序等の影響もあって、55年体制、すなわち「保守」(改憲・親米・安保体制支持)対「革新」(護憲・反米・安保体制反対)の構図に変質した。その結果、自由主義対協同主義の対立軸が顕在化せず、後者が保守長期政権に内包された。このことは、福祉国家あるいは大きな政府が保守政権の下で政策として実現されていったことの上手い説明となっている。

 

このように、本書は、これまで私にはよくわかりにくかった日本の戦後直後の占領期の政治や諸改革を、それ以前の戦前・戦中、そしてそれ以後の55年体制と連続するものとしてとらえており、昭和全体を通じた日本の歴史の理解に非常に役立つものであると思う。 (むろん、本書の語り方自体、雨宮氏の視点による相対的なものであることは前提として認識しなければならないが)。

 

もちろん、本書の意義はそれだけでないだろう。本書で著者が示すとおり、米国は、現在においても、イラクに見られるように、他国の占領と改革を行っているが、それを正当化する実例として、日本でのサクセスストーリーがあるのは間違いない。もちろん、イラクではこれがうまくいっていないことは万人の知るところであって、日本で成功したことについても、日本では占領前にもデモクラシーがあった等、条件がそろっていたことを指摘する米国人も多い。その意味で、しばしば米国で見られる、占領と改革によってその後占領された国は成功するんだという正当化のロジックは無条件では成り立たないことを、本書は示しているといえる。

 

また、日本自身に関しても、かつて「自由主義」と対抗するものとして「協同主義」があったことを本書は「発掘」した。冷戦が終結した後の現在日本での政治空間においても、「自由主義」の対立軸として「協同主義」の可能性があることを、本書は指し示しているのではないだろうか。

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対談「昭和を点検する」(半藤一利、保阪正康)

本日午後、新宿紀伊国屋ホールで行われた保阪正康と半藤一利の両氏による対談「昭和を点検する」を聞きにいった。年配の人たちが多かったが、若手の姿も結構見えた。

以下では、ひとまずのメモとして、対談の概要を以下に記したい。

【司会(講談社)】今日は、次の5つのキーワードで昭和につきお話いただく。
 1 世界の大勢
 2 この際だから
 3 ウチはウチ
 4 それはお前の仕事だろう
 5 仕方なかった
最後に、去る9月4日亡くなった瀬島龍三氏に対する評価についてお話いただきたい。

1 「世界の大勢」について
【保阪】 挙げていただいた5つの言葉はみな受身の言葉である。昭和期に使われる「世界の大勢」はトリッキー。1931年の満州事変以降にわが国で使われる「世界の大勢」とは、自分たちにとって都合のよい「世界の大勢」。

【半藤】 英語にしにくい日本語として「せめて」「いっそ」「どうせ」の3つがあると思っている。これらは日本的心情を表すよく出てくる言葉。今日は、これとは別の5つの言葉が出されたが、なるほどわかりやすい。黒船以降、日本は確かに外からの圧迫によりアクションを起こしてきた。その意味で「世界の大勢」はわかりやすい。

2 「この際だから」について
【保阪】 私が思い出すのは南部仏印。日本側は、これで米国が大きな制裁することはないだろうと考えていた(日本との戦争を意味するから)。日本では政策決定集団の中で互いに共鳴しあい、その中で期待・願望といった都合のよいものだけになり、現実から遠ざかっていくという特徴を持っているが、南部仏印をめぐるやりとりを見ていくと、この特徴がよく出ている。

【半藤】 自分も同じく南部仏印を思い浮かべる。補足として述べると、米軍にとっては対ドイツが最重要で、日付変更線の向こうに艦隊を送ることは考えていなかったし、当時戦争準備もしていなかった。それらを日本海軍も知っていたはず。これで確信をもって「この際だから」と思ったのだろうと思う。
 また、ポイント・オブ・ノーリターンとなった三国同盟を結んだ時、それにもともと反対してい海軍がなぜ短い間にそれを了承したかといえば、これも「この際だから」であった。この際だから、三国同盟を求める陸軍に借りを作って予算を確保する(そうした条件をつけた)という目論見があった(宇垣纏「戦藻録」序文による)。三国同盟でどういう事態がおこるかは議論になっていなかった。

【司会】 軍の話ばかりになっているが、政党はどうか。たとえば統帥権干犯問題。

【保阪】 当時は、政党間の争い激しい時期。政友会が軍と組んだ。そのひとつが統帥権干犯問題。民政党叩きに「この際だから」と政争の道具にしたと思う。
 また、昭和16年11月15日の政府・大本営連絡会議で終戦の腹案が出たが、そこで論じられれていることはすべて願望でしかない(たとえば米国で厭戦思想が出てきて終戦になる)。これはひとつにはわれわれの文化。腹案はいかにも作文で軍事的リアリズムを感じない。こんなものをを平気で作っている指導者は何だったんだろうか。本当に軍主導体制だったのか。「この際だから」ということで作ったものに過ぎないのではないか。

3 「ウチはウチ」と4 「それはお前の仕事だろう」について
【保阪】 「ウチはウチ」という言葉から思ったのは、兵舎化した国家。国家総力戦体制とは、国家を兵舎にするということ。昭和10年代にそれが顕著になった。

【半藤】 自分が「ウチはウチ」という言葉から思いうかべるのは、国際連盟脱退がマスコミが盛んに煽り立てたものであったこと(これに抗したのは石橋湛山等ごく一部のみ)。最初政府内では国際連盟とうまくやっていこうという雰囲気のほうが強かった。

【保阪】 トラウトマン交渉の際に中国側から示されたような世界観が、日本の関係者には全くなかった。
 また、昭和16年の日米交渉の際、日本の外交暗号(マジック)はすでに解読されていたが、このとき日本側のすべての電報を読んでいた陸軍の石井秋穂が、11月に送られてきた電報(米ウォーカ郵政長官が野村大使に言った言葉が書かれていた)から暗号が解読されていることを直感した。しかし、「まあいいか自分の仕事ではない、外務省の仕事だ」と思って、言うのをやめた。

【半藤】 米海軍ではニミッツ提督はキング提督のいうことにすべて従った。指揮系統が厳しく守られていた。他方、日本ではそのようなことはなかった。永野軍令部長に対して、山本五十六は「(永野は)なんだ、居眠りばかりしている」と批判。俺は俺だ、という姿勢だった。陸軍でも、ノモンハンのとき、作戦部長は当初関東軍にすべて任せていた(俺の仕事でない)。一方で、関東軍は俺は俺だと勝手に戦線を拡大。統制がまともにあって軍隊が厳正な存在になるのに、日本軍は俺は俺、それはあいつの仕事だ、というのが実態だった。外務省も同じ。野村吉三郎は、外務大臣だったときに親独派を左遷したため、省内で総スカンをくらった。彼が駐米大使になったときに、外務省の人間は言うことを聞かなかった。

5 「仕方がなかった」について 
【保阪】 「仕方がなかった」という言葉はみんなが言った。2・26事件のときも、真崎甚三郎は「こうなっては仕方がないだろう、青年将校の意見を容れろ」と発言。このように、既成事実ができあがったら仕方がない、そこから始まる、という発想がみなにあった。
 また、東京裁判での被告たちの発言を読むと、みな自らの思想から自己正当化するのでなく、「仕方がなかった」という論法であった。いかにも日本的である。私たちは何を問われているのか、状況追随でしかないのではないのか。

6 瀬島龍三氏の評価について
【半藤】 彼の同僚の話を聞くと、彼の作戦計画は完璧であった(しかし、悪口を言う人は、加えて、これほど戦場で役立たないものはない、といった)。事務官僚としてはこれほどの人はいないという人は多い。
 自分は瀬島氏に何回かインタビューしたが、聞きたいことが3つ残った(氏は最後まで否定し、きちん話してくれなかった)。
(1)捷1~4号。台湾沖海戦の戦果は誤りだったことが判明にしたにもかかわらず、作戦を変更したままルソン島→レイテ島にした(なお、瀬島氏は戦場に派遣されることになったが、病気(悪口を言う人は都合悪くなると瀬島氏は病気になるという)となったという理由で、全く作戦内容を知らない別の参謀が代理で現地に派遣された)。
(2)瀬島は昭和19年末から20年2月まで偽名を使ってモスクワに行った。この後に、彼が親しかった岡田啓介、迫水久常が主唱してソ連を通じた和平交渉が始まった。交渉は4月の鈴木内閣で本格化。瀬島のモスクワ行きはソ連政府の感触を探りにいったのではないか。
(3)終戦直後のソ連ジャリコーワとの交渉の内容。瀬島は日本兵をシベリアで労役させるとの密約を結んだと疑われた(私個人は密約まではなかったと思っているが)。

【保阪】 私も同じような疑問を持っている。瀬島氏には2日間、のべ計8時間のインタビューした(細かい具体的な点ばかりを質問)が、氏は本質には答えず、瑣末なことばかりよく話した。典型的な軍官僚だった(逆に現場を知らない)。信用できないという印象を受けた。氏の発言をよくみると、本人が亡くなった後にその人のことを話している。
 彼が亡くなった際、マスコミからの問い合わせに対してほとんどコメントをしなかったのは、話すと彼に悪口になってしまうので、失礼になると思ったから。ただ、我々、そして次の世代が歴史として検証していかなければいけない。

【半藤】 本題とは関係のない話題だが、最近出版された卜部日記を読むと、昭和天皇は2月26日と8月6日にはかならず部屋で御慎みになっていたことが書かれている。これをどう考えるか、面白いと思う。

以上。

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書評:加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」岩波新書

 本書は、岩波新書「シリーズ日本近現代史全十巻」の5冊目に当たる。昨日は盧溝橋事件発生70周年だったそうだが、これにあわせるかのように、先月刊行された。

 個人的には近現代史に興味を持っているものの専門家でもないし歴史に詳しい人間でもないが、本書は理解に大変役に立った。とはいえ、本書の内容は盛り沢山であり、その内容を整理し評価するとなると、なかなかに難しい本である。いや、いまだに評者の頭の中では十分に整理されているとはいえないのだが、とりあえず書いてみよう。

 本書のキーワードの一つは、「復仇」(相手国が条約に違反する行為をなした場合などに、その行為を中止させるため、相手国の貨物・船舶の抑留、領土の一部占領など、強力行使に訴えることをいい、法律上違法とはされない)」であろう。著者は、日中戦争を日本と中国の双方にとっての復仇(あるいは報償)であると位置づけ、日本では、中国は国際条約を遵守しない国という主張が勢力を得ていたことのべた上で、本書において日本の為政者や国民が、いかなる経緯によって、心から復仇を主張するようになったのかを明らかにしたいと冒頭で述べている。この時代については、周知のとおり、軍の暴走、一元的外交政策の欠如等の問題が戦争の泥沼化を導いた点が指摘されるが、本書はそういった論点には踏み込まずに、人々がどのような考え方が満州事変や日中戦争へとつながる行動に生んでいったかを述べており、この時代の歴史への理解を大いに深めるのに役立つものであった。例えば、本書は、満蒙特殊権益に関する国際法上の正当性についての日本での考え方がどのように満州事変や日中戦争に連なったのか等に焦点を当てているが、日本政府の関係者の多く(陸軍を含め)が、一定の限界があることを多かれ少なかれ認識していたことは興味深く読めた(もっとも、日露戦争の報償として権益を位置づける勢力が強まっていくのであるが)。また、満州事変から日中戦争にいたる経緯を見ても、(これは専門家や歴史に詳しい方々にとっては周知のことなのだろうが)、日本や中国の政府内でも様々な考え方があり、国際連盟脱退や日中間での戦争を支持していない人々も多くいたものの、米国、英国、ソ連等の対応を含めた国際情勢の変化とも絡み合い、結果としてそのような事態に至った点もよく分かった。

 このように、復仇という点から描こうとする問題意識が本書を通じて基底に流れているとはいえるのだが、これは改めて全体を読み直してはじめてそのように理解できるだけで、一読するだけでは分かりづらかった。通史を描くという本シリーズの制約もあるのだろうが、本文では著者の問題意識があまり前面に出た書き方になっておらず、この問題意識に沿った形で史実の説明や解釈が十分に行われているようには読めなかった。例えば、前述の特殊権益を日露戦争の報償と見、中国の行為を国際法違反とする考え方が浸透してきたことは描かれているが、いったいなぜこのような勢力が増してきたのかという点については、何か背景があるはずだが、本書ではほとんど説明されておらず、評者にはよく分からなかった。

 各章での構成も問題意識に沿った形で必ずしも整理していないことも全体的なトーンを分かりにくくしている。例えば、第一章では、「満州事変の四つの特質」として①相手国の指導者の不在を衝いて起こされたこと、②本来は政治干与を禁止された軍人によって主導されたこと、③国際法との抵触を自覚しつつ、国際法違反であるとの非難を避けるように計画されたこと、④地域概念としての満蒙の意味する内容を絶えず膨張させていったことを挙げる。しかし、例えば、①は、復仇という観点とは無関係のものである。また、④については、これ自体興味深い内容だが、復仇との関連がよく分からなかった。

 評者は、「通史を描く」ことと「日本の為政者や国民による復仇の主張の点から史実を解釈する」ことの両方を、限られた紙幅の中で収めようとすることには無理があったのではないかと想像している。とはいえ、本書によって得られるものは大きい。時間と紙幅を十分にかけて改めてこのテーマについて描いた著者の作品を読みたいと思った。

 なお、pata氏は「個人的に不思議に思ったのは石原莞爾の存在をあまりにも大きく描きすぎているのではないか」と指摘しているが、私も同様の印象を持った。確かに、石原の存在は欠かすことができないが・・・。

 また、本シリーズは「家族や軍隊のあり方、植民地の動きにも目配りしながら、幕末から現在に至る日本の歩みをたどる新しい通史」であるが、著者が「あとがき」で記すように、ここでのポイントとなる「家族」「軍隊」「植民地」のうち、本書は「軍隊」については多く記しているものの、他の2つ、特に「家族」についてはほとんど触れることができていない。本の出来としては不十分といわれても仕方がないだろうが、bk1で表現自由氏がこの点をもって本書に低い評価を下していることについては、本書の内容を無視した評価であり、フェアとはいえないのではないだろうか。

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