シンポジウム、トークショー等

中島聡氏×海部美知氏 トーク

本日、第141回 八重洲ブックセンター特別講座:アスキー新書1周年記念として、   
中島聡氏と海部美知氏の トーク(&サイン会)に行ってきた(18:30~20:00、八重洲ブックセンター)。これは、アスキー新書から、両氏がそれぞれの以下の本を出したことを受けて開催されたもの(司会:アスキー遠藤氏) 。

 

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54) パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)

著者:海部 美知
販売元:アスキー
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おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書 55) おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書 55)

著者:中島 聡
販売元:アスキー
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この両書は、つい最近刊行されたもので、私も週末に買って持ってはいたのだが、買ったばかりで時間がなくまだ読んでいない。その段階で聞いた内容なので、不正確なところもあるかもしれないが、概要は次のとおりであった。    

中島() 日本企業をこうしなければいけないという議論は多いが、一番大事なのは個人。海和さんのいう「プチ変人」はいい言葉。S・ジョブス等の変人が許されているのは成功しているからだが、成功しているのは変人だから。こうした変人と普通の人との間にプチ変人がいる。それを大切にしてよい。   

海和() プチ変人の芽をつぶすようなものが日本にはある。逆に持ち上げるようにすべき。   

「普通こうしたことはしないものだ」というのは暴力。それに対して戦ってほしい。   

「ぬるい環境」があるとよい。シリコンバレーは巨大なぬるま湯。   

マイクロソフトもグーグルもエンジニアあっての会社。エンジニアは「神」。   

グーグル等では価値はエンジニアが生み出している。   

ところが日本のIT産業では価値のほとんどを営業が生み出している(接待等を通じて)。これではエンジニアは「神」にはなれない。「何で?」と思う。エンジニアになることは素晴らしいこと。エンジニアが細かいことを決めていき、それが最終的に製品になる。ここで売れるか売れないかの問題になる。エンジニアもビジネスを勉強することが必要。   

エンジニアとビジネスの両方が分かる人は少ない。   

司会 シリコンバレーでは知の流通が良いといわれるが、日本にはないか。   

日本では会社ごとにサイロになっている。アメリカでは会社に就職しても安心できないので、いろいろな人との繋がりが重要になる。   

会社は乗り物でしかない。シリコンバレーでは特に。   

司会 日本にいる人に「こうしてはどうか」というものがあれば。   

グーグルではエンジニアが仕事をするのに半径200メートル以内に食べ物が必要だ、としているが、(自分が最初に就職した)ホンダで聞いた話と似ている。日本だからダメということはないと思う。本田宗一郎らができたのは、戦後の混沌の中だったから。積極的に混沌をつくり、厳しいぬるま湯をあえて作るべき。議論の分かれることをやるべき。もちろん、自分に賛成してくれる人たちの力が強くないと難しいので、サポートシステムも同時に作ることが必要。   

物事を動かすのは肩書ではなく、人とのつながり。会社を作るとき何人の人が自分に付いてくるか、ということ。多分日本も今後そうなっていくと思うので、日本の中でも作っていくべき。   

<質疑応答(一部のみ)>   

日本の子供が学ぶべきことは?   

その子によって異なるが、つぶしの効くスキルとしての英語。   

日本語でやっていると相手が限られてしまう。英語でやらないと認められにくい。日本には世界クラスのプログラマが何人もいるが、日本語で書いている限りは世界に知られない。もったいない。   

(徳力氏(多分)) 今日からやってもらいたいことは?   

「継続は力なり」。価値あるものは継続してやるべし。   

いやだったらやめればよい。我慢するからいけないのかもしれない。戦うか逃げるか。 

 

会場はほぼいっぱいであった。質問も結構でた。終了後にサイン会が行われたのだが、会場にいたほとんどの人が会場を去らなかったのには少々驚いた。多くの人はサインの列に並び、あるいはサインをもらうための本を買おうとしていた。その他部屋に残った何人かはおそらく関係者や知り合いだろう。私は、この2冊を電車の中などで読もうと思って両方とも手元に持っていたのだが、サインをもらう趣味はあまりないし、また行列の長さに辟易したので、少数派?として会場をあとにした。お二人はさぞかしサインで手がお疲れのことだったであろう。 

この手の講演会は時々聞きにいくのだが、会場の様子からも分かるように、熱心に聞きにきた人が比較的多かったように思う。対談の内容自体は、知識としては(なんとなくのものも含めて)知っていたり、あるいは自分でも同様に考えていたりするものが結構あったのは確かで、その意味で、この対談に革新的な目新しさというものを感じたわけではない(もっとも、お二人のブログを(それほど熱心でないにせよ)読んでいるので、その影響は多々あることは認める)。しかし、日本の組織の内部で生息する人間を「元気づける」-つまりその内発的な何かに訴えかけるー対談であったことは間違いなく、著者たちの話を直接聞くことができて良かったと思っている。実は、これと似たような感覚は、以前聞いた、梅田望夫氏の講演を聞いた時にも感じた。おそらく、会場に来た人々は、彼らが彼の地から運んでくる「米国西海岸の空気」を求めて、彼らのブログを読み、今回刊行された本を読み、そして会場にやってきたのではないか。まあ、それだけ、今の日本の空気が息苦しいものの証左でもあるのかもしれないが。てなことをとりあえず感じた次第。

  両氏の著書(及び今回の対談内容)についての感想は、余裕があれば近いうちに書こうとと思っている。

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ものづくり寄席千秋楽・大喜利

本日、「ものづくり寄席」@丸の内の千秋楽(最終回)の大喜利ということで、パネルディスカッション(のようなもの)。パネリストは、藤本 隆宏、新宅純二郎(司会)、高橋伸夫、安田雪、天野倫文の各氏。テーマは、(A)アジアの中(あるいはグローバル環境の中)での日本企業の在り方、(B)人づくり、組織の問題、の2つ。

   

概要は次のとおり(ただし、ラフなものなので一部に誤りがある可能性)。例により、備忘録として。

   
 

(A)アジアの中(あるいはグローバル環境の中)での日本企業の在り方   

   

まず、天野氏がプレゼンテーション。以下、ポイント。    

   
        
  • ・この10年、世界主要国で日本のみがグローバル化で後退。      
  •       
  • ・日本企業のグローバル化は製造業が先導。業種別に海外事業活動のシェアを見ると、売上では、自動車が4割、電機が2割、化学が8%。しかし、利益では、自動車が5割、電機は1割に満たず、化学が17%。      
  •       
  • ・アーキテクチャで説明すると、日本とASEANはインテグラル・アーキテクチャ、米国と中国、韓国はモジュラー・アーキテクチャ。台湾はその両方に重なり、面白い存在。ベトナムへの投資(1位韓国、2位シンガポール、3位台湾、4位日本)の中でも、台湾企業は南部に集中投資しており、また非製造業にも進出。    
  •    
   

天野:日本企業は、現地生産において日本人社員を減らしてきた(それだけでなくローカルの人材を育てることが必要)が、それは同時に日本企業の本社から中間層が海外に勤務機会が減少。米国企業はローカル人材の開発を前から進めている。またトヨタは、海外生産でもラインは現地化(社長含む)、スタッフは本社(日本)からと分け、うまくいっている。   

   

藤本:「市場があれば現地に工場を作る」というのは古くないだろうか。実態はそれからずれてきており、「適材適所」(得意なものを得意なところでつくる)になっている。その典型が、タイ、台湾、トルコといった他国への輸出拠点になっている小国。

      

(B)人づくり

   

安田:「適材適所」になった場合、日本には何が残るのか。

   

藤本:「進化する工場」(=生産性の向上)しか、日本には残らない。正規工が何%残るかを意識すべき。例として、カイハラ(福山市)。

   

安田:転職市場がないと成果主義ができない。20-30代は動きがとれなくなっている。

   

高橋:成果主義は終っている。若者は「自分の市場価値を高める」といっているが、転職市場があり転職できることは強みではない。たとえば、プログラマは、転職できるが、一生プログラマでずっと同じ給料。会社にとっては互換性のある部品である。

   

安田:言いたいことは、ひとつには「ロスト・ジェネレーション」を起こさないようにしないといけないということ。もう一つは、上司が問題ということ。

   

高橋:バブルのころからおかしい。そのころは「これからは実力主義」と言われたが、それは大量の新卒者を入社させていたから。最近の金融機関なども1000人以上採用している。結局、計画性がなく、いきあたりばったり。自分の頭で考えていない。   

   

新宅:かつて日本企業から大量に米国のMBAに派遣していたが、いまや米国西海岸のS大では、MBAコース350人中、日本人はわずか2人のみ。   

   

 

   

【まとめ】 開かれたものづくりと21世紀の日本(藤本)

      

○ ものづくり論から考える企業像とリーダー像   

   

・ものづくりとは「設計情報をものにつくり込むこと」。設計は本来、社長の専管事項。が、忙しいので部下に移管する。従業員は社長になりかわってこれを行う。   

   

○ 物財もサービスも、原理原則は同じ。「良い流れ」をつくること。   

   

<1> あるべき姿   

   
        
  • 開かれたものづくりのコンセプト      
  •       
  • 統合型ものづくりの組織能力の構築      
  •       
  • すりあわせ型アーキテクチャの選択      
  •    
   

*この10年は「だってグローバル化だもん!」で全部通った。それで最後には単価にまで手をつけてしまった。しかし、生産性を上げていくこと、(カイハラのように)高い給料の正規工でもやっていけるようにすることが重要。   

   

<2> 避けるべきこと   

   
        
  • ものづくりを一過性の流行ととらえること      
  •       
  • ものづくりを「匠の世界」と狭くとらえること      
  •       
  • ものづくりを万能薬と安易に捉えること   
  •    
      

<3>やるべきこと(以下の7つを同時に)→ 開かれたものづくり現場へ 

   
        
  • ものづくりインストラクターの社内スクールを開講せよ      
  •       
  • 大企業は5日勤務か完全退職の二者択一以外の継続雇用オプションを提供せよ。      
  •       
  • グローバル企業は適材適所の海外展開を長期視点で熟考せよ。      
  •       
  • 中小企業は「良い流れ」をつくり、付加価値・生産性を高めるため外部人材を積極採用せよ。      
  •       
  • 政府は中小企業の「良い流れづくり」「人づくり」「インストラクター活用」を支援せよ。      
  •       
  • 地方自治体は地域におけるインストラクターの需給マッチング事業を強化せよ。      
  •       
  • 大学は文理統合のものづくくり技術経営教育を強化せよ。      
  •    
   

*インストラクターは50代、60代を活用。

   

上からわかるとおり、全体的に統一感がなく、各パネリストもそれぞれ自分たちの言いたいことを言っていて、必ずしも深い議論だったとはいえない(例えば、人づくりのところでの安田vs高橋は、議論の焦点がお互いややずれていたように思う)。しかし、元々「それぞれが勝手に言いたいことをいう」という趣旨のものであったし、それなりの内容もあったので、”寄席の大喜利”としては、良かったのではないだろうか。

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某対談

1か月ほど前に本ブログでアップした某講演(?)がきちんと対談の形で行われた。以下はその大雑把な(したがって正確性は保証しない)内容である。

   
   

グローバリゼーションが(国内の)格差を拡大しているとの見解があるが、もはや企業活動は国内で完結しなくなっており(逆に国際的な格差は縮まっている)、国内で再配分をするモティベーションはなくなっている。

      

日本では、かつては何が公共的なものかの線引きが自明であった(共通感覚があった)。その下で再配分が行われてきた。しかし、今やそれは自明でなくなり、失われた共通感覚をルールで埋め合わせようとしている。

   

日本では、かつて警察が関与しなかったようなところにまで警察が関与するようになってきている(国家の暴力の対応領域の拡大)。それに対応して、(それまで警察が利用してきた)ヤクザを排除するようになっている。

   

これは、米国も同じ。冷戦時代は、ソ連に対応するため、周辺国の非合法のゲリラ(例:コントラ、アルカイダ)を支援していたが、冷戦後不必要になって手を切ろうとした。

      

このような反近代的な「中間集団」があったとしても、ある種適合的になら擁護しても構わない、というのも近代主義の一種。

      

要は暴力のコントロール可能性。共同体的であろうが、制度的であろうが同じこと。しかし、最近は、これら中間集団をきれいにしようという特徴がある。

      

反近代的なものを国家が利用した歴史があるが、これを新自由主義的に断ち切ることを要求することは正当化してよいか、という問題がある。

      

理念よりは実態で判断すべきだろう。現在は、先の例でいえば、ゲリラの代わりに民間軍事企業によっている。セキュリティ産業も生まれている。

   

ルールでの埋め合わせだが、日本ではルール主義が実現したことがなく、ルールを求めると規律社会でなく管理社会になってしまう。日本ではフーコー主義的な生権力を擁護するしかない。    

   

最近の宗教的なものへの回帰をどう考えるか。ヨーロッパの近代主権国家では、国家と宗教が分離。しかし、アメリカはつねに例外的存在。主権国家が成立した欧州を逃れ信仰の自由を求めて新大陸にきた人々。そして、植民地(=領土)を持たず、経済システムで他国を支配し、覇権を握った(植民地は、領土と支配権の一致の思想に基づくものであり、主権国家的性格のあるものである)。このアメリカの派遣モデルが、脱植民地後のグローバリゼーションのモデルになっている。

   

アメリカでは、もともとpurisum(純粋主義)を志向する人々が集まってきたところ。宗教が細分化していった中でこれらの共生を図る(共和主義)ために政府が存在してきたと言える(市民宗教、アメリカ的な国家と宗教の二元論)。したがって、反領土的・反主権的であると同時に、理想に重きを置きがち。しかし、こうしたpurismを否定すると市民宗教も否定することになるし、その原理に基づいているようなグローバルなNPO活動も否定されることになる。したがって、アメリカのヘゲモニーで回るしかないところがある。

   

国家をなくせる可能性はない。この外へ出るようなラジカリズムはありえない。うまく管理するシステムを見つけるしかない。アメリカ的なものを前提としながらそれを改良していくしかない。

   

グローバル企業から見える風景が依然と違ってきた。かつては社会を温存するものが国家であった。今やグローバル企業からすれば、社会を温存する必要はないが、ルール違反を合法的に取り締まり、ルールを貫徹するために国家は存在してもらわないと困る。国家への要求がこれら企業と国内の下層の人々では異なるようになっている。

   

   功利主義の克服に向けて、ニューディール政策がすすめられたが、それが回り始めたときに、パーソンズは「社会化/内面化」という概念を打ち出した。(フーコー的な生権力によって)「社会化/内面化」が生み出す「内なる光」に従って個人が行動することによって社会に秩序が出来上がることになる。それは否定できないし、むしろ、それが円滑に動くようにソシャル・デザインをしていくべき(これは功利主義の延長線上にある)。

   

ホッブス的な暴力が暴力なくして実現できるようになった。暴力むき出しは良くないので、この点で規律訓練的なものをフーコーは頭から否定していない(フーコーが否定しているのは、規律権力的なものを使いながら自分たちの法の建前をかなぐり捨てていること)。その点で、パーソンズと近い。

   

コントロールしていこうという発想はアメリカルーツのものが多い。これを二元論的に是か非かをいうことに意味はなく、それを利用していくしかない。

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「ものづくりをあきらめたアメリカ、マーケティングのできない日本」(ものづくり寄席)

昨夕のことだが、「ものづくり寄席」(@丸の内)にて上記タイトルの話を聞いた。話者(”師匠”)は阿部誠東京大学大学院経済学研究科教授。マーケティングの先生である。満席で、立ち見がでるほどの盛況であった。

 

話の概要は以下のとおり。

 

1 ものづくりをあきらめたアメリカ   

「アメリカンドリーム」とは最小のインプットで最大のアウトプットを合理的に賢く追及すること。(リターンの少ないことは自分でやらずに外注)。   

→ アメリカはものづくりができないのではなく、やりたくない(もちろん、十分なリターンがあればやる)。   

   

2 ものづくりブームの日本   

・「ものづくり」が製造業に限られている風潮に危惧。   

・日本には国際競争力のあるサービス業がほとんどない。コスト効率が悪い。   

3 製造業とサービス業の違い   

<モノの問題>   

・現場での対応策で解決、対応策を記した詳細なマニュアルを真面目にやる能力が重要、従業員は勝手に自分の判断で行動しない   

<ヒトの問題>   

・顧客によって異なる反応、問題の予期が難しい、原理原則・概念を示したガイドラインに基づいて従業員一人一人が創造力・自己裁量で対応、正解はひとつでない。 

   

○ サービス業で重要なこと   

・マニュアルなしで顧客を大前提とした対応が仕組みができているかどうか。

・「顧客本位」がますます重要に ~ マーケティングそのもの   

 

4 マーケティングのできない日本   

・「ものづくり」の拡張が必要   

(1)製造業を超えてサービス業へ、(2)現場生産を超えてマーケティングへ

   

5 マーケティングとは・・・   

「買い手売り手のインセンティブが一致するような仕組みを創造すること」

= 買いたいと思う商品を提供すること   

(参考) 営業・セールスとは、既存の商品・サービスを売ること

   

6 現在のマーケティング101

  (1) 顧客のマネジメント (2) ブランドのマネジメント   

6.1 顧客のマネジメント

~ 利益を生むのは商品でなく顧客。マーケティングは経営の要。顧客から長期的に収益を得ることが重要。   

○ カスタマー・エクイティ(顧客資産)のマネジメント

(1) 顧客ライフサイクルの管理   

(2) データベースの活用   

(3) 顧客価値の数値化   

(4) 顧客獲得・維持・追加販売の最適バランス   

 

6.2 ブランドのマネジメント   

○ 「ブランド」   

ア)顧客の頭の中に存在するもの(ブランド認知、ブランドイメージ)   

イ)顧客の行動に存在するもの(ロイヤルテイ、価格プレミアム、クチコミ)   

○ ブランド力の測定:よくつかわれるのはインカム・アプローチ   

○ インターブランド社によるランキング   

上位はほとんどアメリカ企業、ソニー<サムソン   

「日本は技術的蓄積があるから大丈夫」という人がいるが、ブランドは重要。簡単にはつくれないが、より多くのリターンが得られる(最小のインプットで最大のアウトプットを合理的に賢く追及するアメリカ企業が先行)。

○ ブランドの事例   

(1)ハーレー・ダビッドソン ~ 良い例   

(2)光岡自動車 ~ 悪い例

 

7 背景   

(1) カスタマー・エクイティのマネジメントの背景: 情報技術の利用可能性、コミュニケーション手段の低コスト化、洗練された統計モデルの開発、柔軟な実行システムの登場   

(2) プランドのマネジメントの背景: 供給過多、成熟した消費社会、消費者行動学・心理学の進展、インターネットの登場   

   

8 どちらのマネジメントが重要か? → 答:ビジネスによる   

(1) カスタマー・エクイティの向上に力を入れるべきビジネス   

= 顧客と直接取引する、顧客との長期的関係が重要、「個客」データが収集できる。 

→ 多くのサービス業やBtoBビジネス(例:金融、保険、通信、運送、医療、コンサルなど)

   

(2) ブランドの向上に力を入れるべきビジネス   

= 顧客との距離がある、第三者が仲介、「個客」データが入手困難

→ 多くの消費財ビジネス

 

要するに、日本企業に対する、「マーケティング」=「買い手売り手のインセンティブが一致するような仕組みを創造すること」=「カスタマーエクイテイ&ブランドのマネジメント」のすすめである。(厳密に考えると、「日本企業」「アメリカ企業」という言い方にはひっかかるのだが、まあ他に言いようもないので、そこは横に置いておこう)

 

もちろん、(冒頭に、阿部教授が断っていたとおり)厳密なデータに裏付けられた議論というよりは、「寄席」ということで、同教授が思っていることをラフに述べたものである。だから、ここで述べられた議論がすべて厳密に現実にあてはまるとは言えない(たとえば、自動車産業を見ればわかるとおり、アメリカ企業がみな日本企業よりも「顧客本位」であるとはいえない)。

 

しかし、阿部教授の議論は、日本企業とアメリカ企業の一面をうまく言い当てていると思う。例えば、日本の電機産業についていつも思うのは、生産者オリエンテッドで、本当に消費者が望んでいる機能を必ずしも提供しているとは言えないことである。ほとんどの消費者が必要としない機能を数多くつけ、頻繁にモデルチェンジをして、比較的高めの価格を設定した商品を売っている。日本の消費者は、比較的お金はもっているし、日本市場は(いろいろあって)日本企業がドミナントなので、日本市場ではこうした売り方である程度成功する。しかし、これが海外に行って全く成功しない。あるいは、iPodやiPhoneのような製品を生み出せない、ということになる。日本にはなぜか「製造業いのち」みたいな風潮が結構あるが、そういうことを言う人は何か世界全体が見えていないように思えてならない(そういったこともあって、『すごい製造業』なる本を評価しなかったのだが)。阿部教授の話は、そうした信仰から抜け出してよりリアリステックな方向性を示していると思った。

 

ついでながら、マーケティングの2つの要素でいえば、サービス業が特に弱い日本において、今後より必要なのは、カスタマー・エクイティ(顧客資産)のマネジメントのほうであるように思えた。もちろん、日本企業の多くは、この重要性にすでに気付いているかもしれない(そうした意味で、集まった人たちの中には物足りないと思ったひともいたかも)が、「データベースの活用」とか「顧客価値の数値化」とか、特に日本は弱そうな分野だなあ、と思う(余談だが、先日のNHKスペシャル「日本とアメリカ第3回 日本野球は“宝の山”~大リーグ経営革命の秘密~」は、あらゆるものをデータで分析するメジャーリーグの姿を描いており、日本とアメリカの彼我の差をはっきりあらわしたよい番組であった)。

 

結論として、演題から想像していた内容とはちょっとずれているような気はしたが、内容的には良かったと思う。ちなみに、ネットで探したら、阿部教授は、昨夕の講演と同名のタイトルで、SPSSのサイトに書いている。内容は若干違うが、こちらもおすすめ。

 

「ものづくり寄席」は、来週が大喜利。もう少し早く知っていればなあ。続編を期待。

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「液晶産業のアーキテクチャと企業戦略」(ものづくり寄席)

最近、『ものづくり寄席』というのを知って、今日初めて聞きに行ってきた。上のタイトルが本日の演目。「師匠」(講師)は、朴英元氏(日本学術振興会外国人特別研究員)。備忘録代わりだが、その概要(一部省略されている)は以下のとおり。

 

- 液晶産業の現状:現在のシェアは日本が減少、韓国、台湾が上昇。トップは、SAMSUNG,次がLPL、以下台湾系が続く。 

- これまでの経緯 

  • 90年代初めに日本企業がノートPC用に事業化。90年代半ばにSAMSUNGが参入。90年代後半に台湾がノートPC事業立ち上げ、多くの日本企業が撤退。
  •    
  • 第3世代(3G)~第3.5世代(3.5G)まではシャープが先行投資。その後、SAMSUNGが先行投資。最近は、シャープとSAMSUNGが先行争い。
  •    
  • 3~3.5Gあたりまでは日本企業から台湾に技術移転。5~6Gになると韓国企業から台湾に技術移転。 

-企業戦略   

  • 「大型化と標準化戦略」:2006年以降の大型化で、シャープとSAMSUNGが投資競争、高付加価値の製品で欧米市場狙い。台湾メーカは2番手戦略でBRICS市場狙い。
  •    
  • 「大型化とクラスター戦略」:部材もまとめて1か所で生産する戦略へ。
  •    
  • 「垂直統合か水平分業か(1)」:韓国・台湾企業は内製化率を高めようとしている。1次部材(ガラス基盤等)の比率は高いが、2次部材(PET、フィルム等)では低く、日本部材メーカ企業の比率が高い。実際、日本部材メーカのシェアは、ほとんどの部材で50%以上。他方、モジュール化の進んだ部分での日本メーカのシェアは低い。
  •    
  • 「垂直統合か水平分業か(2)」:パネルと川上部材との統合(メーカは、提携や垂直統合により関係強化)。パネルと川下製品との統合(SAMSUNG,LPL、SHARPはTV組み立てまで統合、他方、台湾パネルメーカは水平分業(例として台湾系のVIZIOが米国で1位に)) 

- パネルメーカの今後の論点(パネル技術とパラダイム変化の可能性、大型化と超薄型化の同時追及) 

- LCD産業のアーキテクチャ   

  • 製造装置の売り上げシェアでは、日本企業が大半をしめる。日本企業から台湾への技術移転(既述)は、装置自体が日本から台湾に輸出された。
  •    
  • 「製品アーキテクチャ」と「工程アーキテクチャ」
  •    
  • 製品アーキテクチャ:モジュール化した部分もあるが、一方でパネルを作るために必要な部品は相互依存性が高く(インテグラルな要素がある)、パネルメーカによる擦り合わせが必要。
  •    
  • 工程アーキテクチャ:やはり相互依存性が高い工程があり(例:TFTアレイ)、装置メーカによる工程間の擦り合わせが必要。ここも日本のメーカが競争力を持っている。 

- まとめ   

  • 国際分業構造:川上(部材、設備メーカ)は日本、パネルは日本・韓国・台湾、川下(TVメーカ)は日本、韓国 

以上が講演。以下質疑。

Q:2次部材における韓国・台湾のキャッチアップの可能性? 

A:内製化の可能性は低い。パラダイムシフトがあれば別だが。

Q:韓国・台湾も政府が支援するなど力を入れているが、8割方追い付く可能性もないのか? 

A:可能性はないとはいえないが、それよりSAMSUNGのような大企業が日本の部材メーカを買収する可能性の方がある。 

Q:企業戦略上の日韓と台湾の市場棲み分けについては、VIZIOの例もあり維持できない可能性もあるのか? 

A:棲み分けは2006年までの投資戦略に基づく。今後変化の可能性あり。 

Q:大型化が進むと少数の企業によって市場が構成されることになるのか? 

A:50インチ以上ではその可能性あり。 

Q:中国はキープレーヤにならないのはなぜか? 

A:難しい質問だが、技術力がない。中国が強いのは安い労働力による組み立て。

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某講演(?)

某所某日、本来の意図とは違って、急に講演することになってしまった某氏による、その講演の概要。

 

・グローバリゼーションを単なるヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えたものと捉えるだけでなく、誰がヘゲモニーをとるかという視点で見ないといけない。

 

・1970年代、80年代に日本製品が世界を席巻し、アメリカが製造業から撤退。これに対応して、アメリカによるグローバリゼーションが登場。これは、(1)ルールやシステムを変える(例として、国際会計基準、日米構造協議)、(2)株式等によって自ら生産に携わらなくても生産をコントロールすることができる、というもの。

 

・このようにみると、グローバリゼーションをナショナリズムと対比することは適当でない。国家の暴力の対象は、かつての「帝国主義」の時代は土地という具体的なものだったが、今(「帝国」の時代)やルール、システムという抽象的なものになっている。(これについて、理論的な観点から、ドゥールーズ=ガタリの「平滑空間」と「条理空間」の概念による説明あり)。

以上

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東浩紀・北田暁大対談

一昨日になってしまったが、東・北田の対談を聴きに行った

標題として「現代思想の再生-ポストモダニティと公共圏」とあったが、実際は、両氏が共同編集してNHK出版から2008年4月に創刊される雑誌『思想地図』の趣旨等を語るものであった。配布されたパンフレットには、以下のように記述されている。

ゼロ年代の現代思想を俯瞰し、その限界を突破!
来たるべき10年代の知的な羅針盤を作るために、
そして、もういちど思想の力を信じられる時代を作るために、
新雑誌『思想地図』、NHKブックス別巻として2008年4月創刊。
編者は、批評界のトップランナー・東浩紀と気鋭の社会学者・北田暁大。
第一号の特集は「日本」。刮目して待て!

『思想地図』①
・巻頭言「2008年の思想地図」:東浩紀十北田暁大
・創刊シンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」:萱野稔人+白井聡十中島岳志+東浩紀十北田暁大
・特集「日本」:伊藤剛 川瀬貴也 黒宮一太 呉咏梅 白田秀彰 芹沢一也 高原基彰 中島岳志
韓東賢 福嶋亮太 増田聡の論文、そして公募論文2点!
・鼎談 国家論と日本 萱野稔人+東浩紀+北田暁大 (内容は変更になる場合があります。)

勝手ながら、両氏の対談の内容としてポイントとなりそうな点をラフに述べると、
・(赤木智弘氏等の名を挙げつつ)今は即効性のある言説が求められているが、抽象的な思想/批評も必要。そうした抽象度の高いもの、思考実験を扱う「場」をつくりたい。
・かつてサブカルを語ることと現代思想を語ることは等価であったが、90年代にそれをつないでいた政治的なもの(現実との接点を持っていた)が薄れ、サブカルと現代思想を媒介するものが失われた。そうした政治的なものを再興したい。(この点、「批評空間」は現実との接点を失い、実感派に負けて失敗した)。
・『思想地図』第1号のテーマを「日本」としたのは、①サブカル、オタクが「クールジャパン」として持ち上げられることに対して批判的に考えてみたい、②最近の議論には高度成長期へのノスタルジアみたいものがあるがこれについても考えたい、ということから。
・グローバリゼーションの時代だが、日本語の読めない外国人が(日本での日本語で書かれたサブカル論を全く知らずに)アニメ等を論じている。これには我々にも責任がある。英語圏にわれわれの考えを伝える努力をしてきたか?(ただ、こうした現象は、日本だけでなく多分世界中で起きていることだろうと思う)。『思想地図』は日本語だが、日本の論点を日本語で書くことで、普遍的にする回路ができないだろうかと思っている。
・第2号のテーマは「世代」。日本では本当は「社会対立」の問題なのにそれが常に「世代対立」の問題にされてしまう。そのこと自体を問題としたい。

なお、Q&Aの時間に、同誌の公募に落選したと思しき方々がその理由を質問していたのは御愛敬。

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対談「昭和を点検する」(半藤一利、保阪正康)

本日午後、新宿紀伊国屋ホールで行われた保阪正康と半藤一利の両氏による対談「昭和を点検する」を聞きにいった。年配の人たちが多かったが、若手の姿も結構見えた。

以下では、ひとまずのメモとして、対談の概要を以下に記したい。

【司会(講談社)】今日は、次の5つのキーワードで昭和につきお話いただく。
 1 世界の大勢
 2 この際だから
 3 ウチはウチ
 4 それはお前の仕事だろう
 5 仕方なかった
最後に、去る9月4日亡くなった瀬島龍三氏に対する評価についてお話いただきたい。

1 「世界の大勢」について
【保阪】 挙げていただいた5つの言葉はみな受身の言葉である。昭和期に使われる「世界の大勢」はトリッキー。1931年の満州事変以降にわが国で使われる「世界の大勢」とは、自分たちにとって都合のよい「世界の大勢」。

【半藤】 英語にしにくい日本語として「せめて」「いっそ」「どうせ」の3つがあると思っている。これらは日本的心情を表すよく出てくる言葉。今日は、これとは別の5つの言葉が出されたが、なるほどわかりやすい。黒船以降、日本は確かに外からの圧迫によりアクションを起こしてきた。その意味で「世界の大勢」はわかりやすい。

2 「この際だから」について
【保阪】 私が思い出すのは南部仏印。日本側は、これで米国が大きな制裁することはないだろうと考えていた(日本との戦争を意味するから)。日本では政策決定集団の中で互いに共鳴しあい、その中で期待・願望といった都合のよいものだけになり、現実から遠ざかっていくという特徴を持っているが、南部仏印をめぐるやりとりを見ていくと、この特徴がよく出ている。

【半藤】 自分も同じく南部仏印を思い浮かべる。補足として述べると、米軍にとっては対ドイツが最重要で、日付変更線の向こうに艦隊を送ることは考えていなかったし、当時戦争準備もしていなかった。それらを日本海軍も知っていたはず。これで確信をもって「この際だから」と思ったのだろうと思う。
 また、ポイント・オブ・ノーリターンとなった三国同盟を結んだ時、それにもともと反対してい海軍がなぜ短い間にそれを了承したかといえば、これも「この際だから」であった。この際だから、三国同盟を求める陸軍に借りを作って予算を確保する(そうした条件をつけた)という目論見があった(宇垣纏「戦藻録」序文による)。三国同盟でどういう事態がおこるかは議論になっていなかった。

【司会】 軍の話ばかりになっているが、政党はどうか。たとえば統帥権干犯問題。

【保阪】 当時は、政党間の争い激しい時期。政友会が軍と組んだ。そのひとつが統帥権干犯問題。民政党叩きに「この際だから」と政争の道具にしたと思う。
 また、昭和16年11月15日の政府・大本営連絡会議で終戦の腹案が出たが、そこで論じられれていることはすべて願望でしかない(たとえば米国で厭戦思想が出てきて終戦になる)。これはひとつにはわれわれの文化。腹案はいかにも作文で軍事的リアリズムを感じない。こんなものをを平気で作っている指導者は何だったんだろうか。本当に軍主導体制だったのか。「この際だから」ということで作ったものに過ぎないのではないか。

3 「ウチはウチ」と4 「それはお前の仕事だろう」について
【保阪】 「ウチはウチ」という言葉から思ったのは、兵舎化した国家。国家総力戦体制とは、国家を兵舎にするということ。昭和10年代にそれが顕著になった。

【半藤】 自分が「ウチはウチ」という言葉から思いうかべるのは、国際連盟脱退がマスコミが盛んに煽り立てたものであったこと(これに抗したのは石橋湛山等ごく一部のみ)。最初政府内では国際連盟とうまくやっていこうという雰囲気のほうが強かった。

【保阪】 トラウトマン交渉の際に中国側から示されたような世界観が、日本の関係者には全くなかった。
 また、昭和16年の日米交渉の際、日本の外交暗号(マジック)はすでに解読されていたが、このとき日本側のすべての電報を読んでいた陸軍の石井秋穂が、11月に送られてきた電報(米ウォーカ郵政長官が野村大使に言った言葉が書かれていた)から暗号が解読されていることを直感した。しかし、「まあいいか自分の仕事ではない、外務省の仕事だ」と思って、言うのをやめた。

【半藤】 米海軍ではニミッツ提督はキング提督のいうことにすべて従った。指揮系統が厳しく守られていた。他方、日本ではそのようなことはなかった。永野軍令部長に対して、山本五十六は「(永野は)なんだ、居眠りばかりしている」と批判。俺は俺だ、という姿勢だった。陸軍でも、ノモンハンのとき、作戦部長は当初関東軍にすべて任せていた(俺の仕事でない)。一方で、関東軍は俺は俺だと勝手に戦線を拡大。統制がまともにあって軍隊が厳正な存在になるのに、日本軍は俺は俺、それはあいつの仕事だ、というのが実態だった。外務省も同じ。野村吉三郎は、外務大臣だったときに親独派を左遷したため、省内で総スカンをくらった。彼が駐米大使になったときに、外務省の人間は言うことを聞かなかった。

5 「仕方がなかった」について 
【保阪】 「仕方がなかった」という言葉はみんなが言った。2・26事件のときも、真崎甚三郎は「こうなっては仕方がないだろう、青年将校の意見を容れろ」と発言。このように、既成事実ができあがったら仕方がない、そこから始まる、という発想がみなにあった。
 また、東京裁判での被告たちの発言を読むと、みな自らの思想から自己正当化するのでなく、「仕方がなかった」という論法であった。いかにも日本的である。私たちは何を問われているのか、状況追随でしかないのではないのか。

6 瀬島龍三氏の評価について
【半藤】 彼の同僚の話を聞くと、彼の作戦計画は完璧であった(しかし、悪口を言う人は、加えて、これほど戦場で役立たないものはない、といった)。事務官僚としてはこれほどの人はいないという人は多い。
 自分は瀬島氏に何回かインタビューしたが、聞きたいことが3つ残った(氏は最後まで否定し、きちん話してくれなかった)。
(1)捷1~4号。台湾沖海戦の戦果は誤りだったことが判明にしたにもかかわらず、作戦を変更したままルソン島→レイテ島にした(なお、瀬島氏は戦場に派遣されることになったが、病気(悪口を言う人は都合悪くなると瀬島氏は病気になるという)となったという理由で、全く作戦内容を知らない別の参謀が代理で現地に派遣された)。
(2)瀬島は昭和19年末から20年2月まで偽名を使ってモスクワに行った。この後に、彼が親しかった岡田啓介、迫水久常が主唱してソ連を通じた和平交渉が始まった。交渉は4月の鈴木内閣で本格化。瀬島のモスクワ行きはソ連政府の感触を探りにいったのではないか。
(3)終戦直後のソ連ジャリコーワとの交渉の内容。瀬島は日本兵をシベリアで労役させるとの密約を結んだと疑われた(私個人は密約まではなかったと思っているが)。

【保阪】 私も同じような疑問を持っている。瀬島氏には2日間、のべ計8時間のインタビューした(細かい具体的な点ばかりを質問)が、氏は本質には答えず、瑣末なことばかりよく話した。典型的な軍官僚だった(逆に現場を知らない)。信用できないという印象を受けた。氏の発言をよくみると、本人が亡くなった後にその人のことを話している。
 彼が亡くなった際、マスコミからの問い合わせに対してほとんどコメントをしなかったのは、話すと彼に悪口になってしまうので、失礼になると思ったから。ただ、我々、そして次の世代が歴史として検証していかなければいけない。

【半藤】 本題とは関係のない話題だが、最近出版された卜部日記を読むと、昭和天皇は2月26日と8月6日にはかならず部屋で御慎みになっていたことが書かれている。これをどう考えるか、面白いと思う。

以上。

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追記

一週間前の神成・宮台トークショーについて、一つ書こうと思って忘れていたことを思い出したので追記。
私が聞いて良いと思ったのは、「数々のIT現場で多彩な実績を積み上げ」た神成氏の言った「私はITが嫌い。理想はITを使わないこと。最初はITなしに何しようかを考えること」という発言です。長年ITに関連する仕事をしているにもかかわらず、世で喧伝されるITに関する様々な謳い文句に大きな興味を持てない私は、まったくの同感で、はたと膝を打ちましたね。

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トークショー「計算不可能性を設計する」

 勤務時間終了後、職場をそそくさ出て、神成淳司×宮台真司「『計算不可能性を設計する』刊行記念トークショー」@丸善丸の内店へ。やはり、というべきか、聴衆のほとんどは20代30代くらいの人たちで、会場はほぼ一杯。さすが宮台教祖といったところでしょうか。

 1時間半という比較的短い時間の中で、トークはあっちこっちの話題に飛ぶので、書籍の対談にあった主要な内容が網羅されていたわけではなかったように思います(もっとも、書籍の方もトーク同様にいろいろな話題に触れており、それを数日空けては少しずつ読んでいったので、自分がどこまで内容を把握しているか怪しいですw)。

 ネットでも中継されていたこともあり、たぶん誰かが詳しい内容は書いてくれるのでしょうが、自分なりに(「まとめ」と言いたいところですが、うまくまとめるほどの力もないので)勝手にかいつまんでいくつかの点を述べると、

  • 日本のIT業界は、現場を知らず、(ユーザとの)感情の前提の共有なしに情報システムを作ってしまっているため、出来上がったシステムはフィットしたものになっていない。みな儲からず、仕事場も3K化しているのが現状。
  • ITは人件費の高くすべてを人間がやることが不可能である日本のような国では不可欠であり、感情の前提の共有を増やすことは可能。
  • ユビキタスといわれるがは、アマゾンに見られるように、情報の遍在というよりも情報の偏在がおこり、人々の選択肢を減らしているが、こうした中で幸せをどう設計していくかが問題(教育の問題)。

といったところでしょうか。全体として第一点目に挙げた点についての話が多く、最後の点については、時間切れで、あまり触れることができなかったように思います。今後も、今回のように二人で対談される機会があるようなことを言っていたと思うので、続きはそこでということでしょう。

ちなみに、トーク終了後、急いで帰宅、トークで宮台氏も触れたNHKスペシャル「30代のうつ~会社で何が起きているのか~」を視聴しました。自分自身は幸いそのような状態に追い込まれたことはありませんが、自分の周囲でもうつになってしまった人を過去何人か見ており深刻な問題となっているので、興味を持ってみました。感想等は別の日に触れることがあるかもしれませんが、いったんうつになった人の職場復帰の大変さを考えると、当事者のみならず、企業、そして社会全体にとっても、大きなロスであることは間違いありません。一面的な解釈でしょうが、十分に開放的とは言えない日本社会(国全体、そして各企業)、流動性の低い労働市場、年功序列、デフレ、少子高齢化等々の様々な要因が、サービス残業という形だけでなく、うつという形で働く人々にしわ寄せを及ぼしている、ということもいえるのでしょうね。そして、そうした状況を強いてきた企業自身にとっても負担として現実に跳ね返ってきているということなのでしょう。

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