政治

”Obama>Clinton” 2題 (CNNから)

さきほどCNNを見ていて2つ面白かったこと。

(1) 米国での世論調査によると、

・黒人大統領でもOK ・・・・ 76%

・女性大統領でもOK ・・・・ 63%

とのこと。こちらに日本語でもありますね(これを読んで知ったが、黒人の方が白人よりも「黒人の大統領でOK」という答えが少ないのはちょっと驚き)。

(2) まだやっと話せるようになったばかりの小さな子供たちに、大統領候補である「ヒラリー」「オバマ」「マケイン」と言わせようとすると、子供はみな「オバマ」とは口に出していうけれども、「ヒラリー」「マケイン」とは言わない。「ヒラリー」「マケイン」といわせようとしても、黙ってしまったり、逆に「オバマ」としか言わなかったりする。これは親がオバマ支持であるなしに関係ないらしい。番組に出てきた研究者によると、子供にとってオバマ(Obama)の"b"とか"m”という子音は子供にとって基本的でまず覚えやすい音だからではないかとのこと。ただ「オバマ」「オバマ」を連呼する子供を見ていて思わず(笑)。

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自民党国会議員のリーダー選定能力の衰退

福田内閣が提示した田波氏(国際協力銀行総裁)が野党多数の参議院で同意が得られなかったことによって、日銀総裁は明日から空席となった(白川副総裁が代行)。空白になったことを嘆く見解がマスコミに多数出ているが、ここまで来たのは福田総理の責任が最も大きいということは認識しておく必要がある。

民主党に問題があるのはほとんどの人は否定はしないだろう。しかし、民主党が財金分離を主張し武藤氏を拒否した以上、元財務事務次官である田波氏を提示しても、立場上、民主党は拒否せざるを得ないのはわかりきった話。田波氏を立てて断られたからといって、民主党を日銀総裁空席の主犯にすることはできない。故小渕総理は民主党の提唱する金融再生法案を丸呑みすることによって金融国会を乗り切ったのとは対照的である。総理大臣としての指導力がないといわれても仕方がない。

自民党の伊吹文明幹事長は十七日の記者会見で、各種世論調査で福田内閣の支持率の低落傾向に歯止めがかからないことについて、「不支持の大きな原因は多分、指導力がないということではないか」と述べ、国民が首相の指導力に疑念を抱いているとの見方を示した。

伊吹氏は参院で野党が多数を占めるねじれ国会の影響で日銀総裁人事が難航していることなどを念頭に、「参院で過半数に達していないので、円滑な政権運営ができない。国民の目から見ると、モタモタしている。今のような参院の状況では、誰がやってもそのように映る」と指摘した。(東京新聞2008年3月18日 朝刊)

しかし、指導力のない人物を、昨年の党総裁選で圧倒的に支持したのは誰であったのか。自民党の国会議員たちである。そうした指導者としての能力のない人間を二代続けて総理総裁として担ぎ出した彼ら自民党国会議員たちに大きな問題があることは十分認識しておくべきであろう。その前の総理、郵政解散で自民党を大勝に導いた小泉氏は、2001年に一般党員の投票で圧倒的勝利を得たので総理総裁になったのであり、その際国会議員の多数は敗北した橋本氏を当初支持していたのではなかったか。さらにその前の、不評を買うばかりだった森氏は、小渕総理の突然の死後、当時の自民党幹部の談合で決まった総理総裁であった。

こうして見ると、もはや今の自民党の国会議員たちに自分たちのリーダを決める能力はない、といわざるをえない。国民の負託にこたえるリーダーを選ぶ力はないということである。そうした人々に引き続き政権を託してよいのかという疑問を呈する声が出ても不思議ではあるまい。

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日銀総裁・副総裁人事(続)

衆参両院は11日、議院運営委員会をそれぞれ開き、政府が次期日銀総裁候補として示した武藤氏と、副総裁候補の伊藤氏、白川氏への所信聴取と質疑を行った。これを受け民主党は党内の意見調整に着手。財務金融部門会議では、武藤氏について「金融の経験は日銀で副総裁を務めた5年間だけだ」などの反対論が相次いだ。伊藤氏についてはインフレ目標政策を掲げていることを問題視し異論が出た。

毎日新聞 2008年3月12日 東京朝刊

だ、そうである。溜息しかでませんね。経済板@いちごの次期日銀予想スレでのドラ氏のコメント:

>803: ドラエモン 2008/03/15(Sat) 19:12

だが、伊藤T氏を拒否するということは、もう経済諮問会議にメンバーになるような奴は今後は人民の敵と認定するという意味。これじゃあ、ミンスのアドバイザーになったりすると、今後は政府・自民党から公職就任をパージされても文句は言えなくなる。たとえば、浜田先生とか、小宮先生みたいな政府の機関で研究所長という政治任命のポジションに着くことを、かつてミンスのアドバイザーやったと言うだけの理由で拒否されても文句言えなくなる。こんなことしてると政策志向の強い学者は誰も寄りつかなくなるわなぁ。

でしょうね。それに加えて、政党色が強い「学者」が逆にたくさん出てきそうな悪寒。

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前回、否決された国会同意人事(昭和26年)

日銀総裁・副総裁の国会同意人事について、昨日、参議院が否決したが、これは1951年に電波監理委員会委員の人事を参議院が不同意として以来56年ぶりとの報道があった。そこで、この1951年の不同意はどのようなものだったか興味本位で調べてみた。

  

当時の参議院の本会議の議事録は、次のものである。

  
   

第010回国会 本会議 第50号      
昭和二十六年五月三十一日(木曜日)      
午前十一時十六分開議      
━━━━━━━━━━━━━

    

(中略)

    

一昨二十九日、内閣総理大臣から、電波監理理委員会設置法第六條第一項の規定により、上村伸一君を電波監理委員会委員に任命することについて、本院の同意を求めて参りました。本件に関し、議長は、あらかじめこれを議院運営委員会に諮りましたところ、同委員会においては同意しない旨の決定がございました。これより本件の採決をいたします。本件に関し同意を與えることに賛成の諸君の起立を求めます。      
〔起立者少数〕      
○議長(佐藤尚武君) 少数と認めます。よつて本件は同意を與えないことに決定いたしました。

  

その前年の昭和25年(1950年)5月2日の第7回国会の参議院本会議議事録を見ると、上村氏は他の委員とともに同意を得ているので、翌年に人事不同意になるまでの1年は電波監理委員会の委員であった。

  

この前日の昭和25年5月1日に行われた第7回国会の参議院議院運営委員会の議事録によると、この上村氏は行政官であったとある(ちなみに、説明者の小沢佐重喜氏は、当時の吉田茂内閣の郵政大臣兼電気通信大臣で、現民主党党首小沢一郎氏の実父である)。

  
   

○国務大臣(小澤佐重喜君)先ず電波監理委員会から考えますと、いわゆる公正妥当な委員会の審議振りを期待いたしまして、各部門から專門の、或いは良識ある方をお願いしたつもりであります。即ちこの七名の委員の選考に当りましては、先ず文化方面から一人、一般行政面から二人、それから産業方面から一人、電波行政及び科学技術面から一人、一般科学技術面から一人、法曹界関係から一人、こういうような線を分けまして、このうちに当嵌るような人を挙げたつもりであります。委員長の富安さんは、いわゆる文化関係という意味で御推薦を申上げたのであります。それから上村伸一君と瀬川昌邦君は一般行政面という関係で御推薦申上げました。(後略)

  

この上村伸一氏は、実は、外交官である。再び昭和26年の第10回国会の参議院議院運営委員会(上述本会議前日の5月30日)の議事録を見ると、次のとおり政府(岡崎勝男官房長官)から説明があった。

  
   

○政府委員(岡崎勝男君) 電波監理委員会委員上村伸一君は、来たる五月三十一日任期満了となりますので、同君を再び同委員に任命いたしたく、電波監理委員会設置法第六条第一項の規定によりまして、両院の同意を求めるために本件を提出いたします。      
上村君は、大学卒業後外務省に入り外交官として欧米諸国及び中華民国に在勤し、外務省政務局長特命全権公使等を経て昭和二十四年三月官を辞したものでありまして、二十有余年に亘る外交官としての経歴は、海外事情に通ずる有識者として昨年任期一年の委員に任命されたものであります。同委員会委員として我が国無線事業の向上発展に多大の寄与をいたして来たものでありますので、今回同君を同委員会委員として最適任と考え、両院の御同意を求めるために本件を提出いたした次第であります。

  

臨時在英大使などを務める等しており、同じく元外交官であった吉田茂首相(当時)との関係(上村は外務省で吉田の後輩に当たる)で任命されたのかもしれない。

  

この日の議事録を更に読むと、電波監理委員会が設置されたのが上述の昭和25年で、7人の委員それぞれの人気を1年ずつずらしていたことが分かる。上村氏の場合は、その中で1番短い1年間の任期であったので、このため翌26年に改めて国会の同意を得ることになったようである。

  

さて、否決された理由だが、翌31日に開催された同じく議院運営委員会の議事録を見ると、

  
   

○鈴木清一君 その前にちよつとお尋ねしたいのですが、官房長官の今のお話でですね、政府のいわゆる総理が権利を持つておる、非常に選択ということに責任を持つと、こういうことを承わつております。聞くところによりますと、例えばまあこう出して来ておられます上村さんの問題にしても、この間何かアメリカのほうに行つておられるというようなことを聞いておりますけれども、任期を控えてそういうところに行つて、而も任期がなくなるということを承知の上に海外に出張さしておる。そういうことをさしておるということは、勿論総理大臣としては絶対的の信頼があるからこそそういうこともさしたのでしようけれども、併しそうだとすると、国会の任期を承認を求めるときに当つて、本人が任期を終つて任期中の仕事としてわきに行つておられるということになりますと、非常に話がおかしいのですが、この点については官房長官どういうふうにお思いでしようか。

    

○政府委員(岡崎勝男君) これはそういう点も考えまして電波監理委員会のほうでは五月三十一日までという期限を切つて出張命令を出しております。

    

○鈴木清一君 そうですが。わかりました。それでは採決を願います。

    

○委員長(山田佐一君) それでは採決をいたします。電波監理委員会委員任命につき同意を求めるの件を採決いたします。この同意を與えるというおかたの挙手を願います。      
〔挙手者少数〕

    

○委員長(山田佐一君) 少数であります。よつて……。

    

○事務総長(近籐英明君) 御参考までに申上げて置きますが、これは当委員会におきましては同意を與えるというかたが少数でございましたが、当委員会では同意を與えないという意思を決定されたのでございますが、この決定権はハウスにございますので、これはハウスの、つまり本会議にこれを上程いたしまして、これを本会議にお諮りいたすという、こういうことになるわけでございます。その点御了承願います。(「了解」と呼ぶ者あり)

  

つまり、上村氏は、任期が昭和26年5月31日、すなわち、この議院運営委員会(そして冒頭引用した本会議)の開催された日までだったが、この日までアメリカに海外出張をしていて不在であった、これがどうも議院運営委員会の多くの議員の気に障るところとなり、採決をとったところ同意への反対票が多数を占めた、ということのようである(議事録からは、他に上村氏に問題があることを主張するような発言は見当たらなかった)。もちろん、これが本当の否決の理由なのか、それとも海外出張を理由にした政治的な動き(例えば、吉田内閣のやり方に反対したいという意向)の結果なのかはよく分からない。ただ、同時にNHKの経営委員会委員の任命については、全員一致で賛成となっており、後者の線は薄いような気がする。前者が不同意の理由ならば、なんとも間抜けな話である。ただ、こうした議会の対応を現在と比較すると、当時は議事運営がほのぼのと行われていた時代であったのだなとも思う。

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日銀総裁人事

あきれてモノも言えない。特に、民主党が、武藤氏はともかく、伊藤隆敏教授にNoとは全く理解に苦しむ。学者と言ってもいろいろいるが、インフレ目標を含め、まともなことを言っている先生なのに。

 

もちろん、このような泥仕合にわざわざしている点では、自公与党も同罪。武藤氏に野党に反対するのが分かっていて改めて出すのだから。武藤氏しか総裁候補がいないなんてことないであろう。党利党略の極みである。

 

総裁に誰がなるのではなくて、総裁が何をするのかが問題なのではあるが、それでも経済政策ではあんたら国会議員よりも日銀総裁の方がはるかに重要なのだ(それが国際的スタンダード)から、真面目にやれよ、といいたい。もっとも、これが日本の国会議員のレベルなんだ・・・と考えるとorg。世界が注目しているのに恥ずかしい、情けない、という感覚は欠如しているのだろう。これも「パラダイス鎖国」の一例か。

 

##もちろん、こうした泥仕合の状況が生まれるのは、制度的な要因が背景にあることにも留意しておく必要がある。

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Financial Times: One-Way Street?を読んで

別に意図したわけではないが、一昨日に続き、英国の記事から。今回はFinancial Timesの"One-way street?: As its companies expand abroad, Japan erects new barriers at home" と題された3月2日付の解説記事である。

 

実は、一昨日(3月5日)の外務省報道官の会見録をネットで見ると、次のようなことが書いてある。

 
   

(報道官)3日付の英字紙フィナンシャル・タイムズ紙に、あたかも日本が外国人投資家或いは外国投資を制限するような、忌避するような対応をとっているといった批判記事が掲載されました。皆様の中にも御覧になった方はおられると思います。ここにお持ちしましたけれども、非常にセンセーショナルな、日の丸を進入禁止のマークに準えて、かつ日本は新たな障壁を構築するという、非常にミスリーディングな見出しだと思います。日本政府として、やはり反論をしたいということで、この場で政府の考えを申し述べたいと思います。      
勿論、まずこの見出しが、全く日本の直接投資受け入れに対するオープンな姿勢を正確に伝えるものではないということを指摘したいと思います。また、この記事の中で、日本政府或いは日本全体の取組みを正当に報じていないということからも、極めてバランスを失した内容だと思っております。      
そう申し上げた上で、日本政府としては福田総理の強いリーダーシップの下、我が国の経済成長実現の為、対日投資などの市場開放努力を進めており、先般のダボス会議においても福田総理から対日投資を歓迎する旨のメッセージを発出したところです。政府は引き続き現在の対日直接投資倍増計画の達成、即ち 2006年の対日直接投資GDP比を2010年までに倍増させ、2010年には5%程度を達成するという目標を立てております。その為にも、対日投資促進の為に策定したプログラムを政府一丸となって着実に実施し、我が国の投資環境の一層の改善を進めていく考えです。      
この場で私は、日本政府がそうした投資環境の一層の改善、対日投資の更なる増加ということに対して明確なコミットメントを表明しているということを強調させて頂きたいと思います。

   

(問)フィナンシャル・タイムズに対して、直接的に何か申し入れたりはしないのですか。

   

(報道官)反論投稿することについても、ひとつのオプションとして念頭に置きつつ、現在検討中です。

 

ここで、外務報道官が言っている、「非常にセンセーショナルな、日の丸を進入禁止のマークに準えて、かつ日本は新たな障壁を構築するという、非常にミスリーディングな見出し」というのは、このFTの記事の冒頭にある、日の丸の中に、NO ENTRYと書かれた絵である。報道官(あるいは外務省首脳)の癇に障るのも無理はないと思うものの、むしろ、この図を描いたFTの(ブラック)ユーモアのセンスの方を感じる。

 

それはともかく、FTの記事はどのような内容かというと、簡単だが、次のようなものである。

 
   

・海外からの投資を阻害するような一連の動きのあとでの、北畑経産省事務次官の発言(注:「デイトレーダは浮気者、無責任、強欲」といった最近問題となった講演での発言)は、日本は海外投資を歓迎していないのではないかという疑念を強めた。

   

・日本は、しばしば保護主義と非難される(鎖国時代からの歴史を叙述)。しかし、東証上場企業の持分の28%が海外勢になった今、政治家、官僚、産業界の”鉄のトライアングル”は再び外資から日本を守ろうと決意したようにも見える。

   

・政府では、空港管理会社への外資規制設定の試み、外資による10%超の出資の届出義務を拡大(外為法)、Jパワー(電源開発)へのTCI出資比率増加の拒否の可能性など。

   

・企業でも、多くの企業がポイズンピルなど企業防衛策、株式持合いの増加、新日鉄のミタルへの防衛策など。

   

・これらは、日本への海外からの直接投資の比率を倍増しようとする政府の約束とは整合しない。

   

・確かに、以前に比べると外資は入っているし、実際、最も競争力のある日本企業の中で外資の比率は多い企業がある。しかし、日本では経営陣が会社にとって何がよいかを一番知っており、株主のいうことを聞くのは誤りという見方が強い残っている、とワカスギ氏はいう。

   

・最近、懸念・恐怖を引き起こしているのは、外国ファンド(たとえばスティールパートナーズやSWF)の登場。これらによる買収が恐れられている。三角合併の制度はできたが、ビジネスのエスタブリッシュメントのロビイングの後、これを使うのは難しくなった。

   

・官僚もビジネスリーダーも、公式には保護主義の増長を強く否定する。確かに、外国嫌いではないかもしれないが、外国人投資家や市場の力へのバックラッシュを反映したものであることは明らかである。

   

・もちろん、これらの動きに対する国内からの強い反対も存在する。しかし、今は、外資へのより大きな開放や市場資本主義の規律による成長よりも、古いシステムの安定に傾いているように見える。

   

・25年間日本で働いた経験を持つある米国政府の元職員は、「危険なのは、そのような偏狭さが成長に必要な日本の競争力を脅かすこと。多くの日本人は外界と隔絶して過ごしやすい温室にひきこもることのできた時代を求めているようだ。しかし、温室にも、日光と空気は必要だーたとえそれが国際競争の厳しい風を意味することになろうとも」

   

・過去、外国製品に市場を閉ざした事例(1980年代の牛肉輸入、欧州からのスキー輸入)があったが、その後市場を開放してきた。しかし、それでも日本市場は、貿易障壁によってではなく、諸外国と異なった基準があることによって、依然として外国製品にとって参入が難しい市場のままである。

 

このFTの記事には、確かに、ある種のバイアスがある。ライブドアや村上ファンドという国内のファンドへ多くの経営者たちが警戒したことに見られるように、多くの日本の経営者がおそれているのは、外国の資本だけでなく、国内の資本も含めたアウトサイダー、典型的には投資家に物をいうアクティブなファンドが資本市場を通じて経営に口を出すことであると思われる(問題となった北畑次官の発言もその一つ)。その意味で、「日本は外資嫌い」という問題の設定の仕方は、海外の読者の先入観に媚びているよいうに思われる。

 

しかし、それでも、これらファンドの主体は海外投資家であるし、また三角合併に関する消極的な姿勢を見ると、日本の産業界に外資への警戒が根強く残っていることは多かれ少なかれ間違いないように思う。

 

冒頭に掲げた外務省報道官の記事への反論(日本は海外投資にオープンであり、これを倍増しようとしている)がまったく十分な反論になっていないことは、FTの記事が、すでに政府が公にはそのような反論をしていることを既に盛り込んでいることして明らかである。

 

外務省は、おそらくは対外広報の観点から、そのまま放置しておくのはまずいと考えて、(少なくとも形式だけでも)反論しておく必要があると考えたのだと思う。実際、政府が海外投資の比率を倍増させようとしているのだから、海外投資に消極的だというイメージを海外に与えることはマイナスであり、それを打ち消す努力は示す必要がある。それは理解できる。

 

しかしながら、政府が実際に海外投資の比率を倍増させようと努力しているとしても、問題は、そうした総論的な取り組みの一方で、具体的に利害が直接に絡む各論(三角合併、空港運営会社の例を見よ)になると産業界、政界、官界に外資への警戒が現われることである(いわば、「総論賛成、各論反対」である)。それがこのFTの記事の言いたいことであるはずである。である以上、外務省報道官の反論は有効な反論になりえない。

 

日本のマクロ経済の大きな問題の一つとなっているのは、生産性の低さである(諸外国と比べて非常に低い現状)。生産性が低いということは、持てる資源を生産のために効率的に利用できていないということである。このことは、たとえば企業の利益率の低さにあらわれているし、サービス残業等に見られる過剰労働からも分かることである。日本のIT関係企業はその良い例であろう(参考)。昨日三菱電機が発表したように、過剰と言われた国内携帯電話事業メーカの中から、撤退がようやく起こりはじめていいるが、これが今頃になって行われ始めたところに問題の深刻さがある。こうなった一因に、コーポレートガバナンスが十分に働いていないことがあると考えるのは当然である。

 

この点で、海外をはじめとする外部の資本の力を借りるということは有効な手段の一つであろう(それは政府も海外からの投資受け入れを積極的に進めるべきだと言っている一つの要因であるはずである)。CNETに「海外機関投資家からみた日本企業のコーポレートガバナンス」という記事がのっているが、この点で、ここにあるような海外の機関投資家が日本についてどうおもっているかという見解は無視すべきではない。まずは、直接に利害に関係する産業界の抵抗感をどうするかであると思われる。ただ、長年の慣行を変えるものであるし、企業内で長年働いてきた経営者や管理職等にとっては自分の地位を危うくするものであり、なかなかすぐにこの抵抗感を解消はできないだろう。深刻な問題である。

 

その意味でいうと、(直接自分の利害に関係する程度は小さく)制度を決める地位にある政治家及び官僚の行動も重要である。直接投資倍増のための政府の取り組みはぜひ進めていただきたいが、しかし、一方で不安材料は、FTの記事にあるように事欠かない。昨日の日経新聞の「経済教室」でも、全国社外取締役ネットワーク代表理事の田村達也氏が、経済産業省を中心として行われた政府での買収防止策の指針の策定作業を行った「企業価値研究会」のメンバーが経営者的な立場の人間が中心となって構成される一方で、機関投資家(株主)を代表する人間が含まれていなかった、と政府の経営者ベッタリの姿勢を批判していた。こうした、現在の企業経営者に偏った(あるいは「媚びた」)、これまでの政府(政界、官界)の姿勢(消費者行政の観点からも批判されているが)は、大いに改める必要があろう。少なくとも、外資受け入れについて、外務省報道官が言っているようには、十分な努力がおこなわれていると言いがたいところがあるように思う。

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The Economist: Why Japan keeps failingを読んで

多少時間がたってしまったが、英エコノミスト誌(The Economist)の一つ前の号(2/23-29号)のカバーは"JAPAIN"であった(ただし、これは日本版(もしくはアジア版?)だけで、欧米版はカストロの引退がカバーであった)。もちろん、これは、Japanとpainを掛け合わせたもので、ラフにいうと、日本経済の停滞の原因を政治家に求めているものである。日本国内でも(多少)話題にはなったようである。Leaders(1ページ)ほか、記事としてBriefing: Japan's Pain, "Why Japan keep failing"とタイトルされた3ページのものが掲載されている。

 

既にどこかで日本語の要約や全訳が掲載されていそうだが、この3ページものの内容は、要するに、

 
   

・小泉政権下で市場志向の改革がおこなわれ改善しつつあるように見えたが、また最近経済が低落しつつあある。株価は下がり、経済も減速傾向。また、少子化、地域経済不振、多額の政府債務といった問題をかかえる。

   

・企業部門はまだよいが、活発に投資が行われているもののリターンは低い。また、輸出は好調だが、国内消費が低いまま。小泉改革で、低金利と低賃金を強調することで日本経済を過度に輸出に依存し外的ショックに脆弱にさせたのではないか。

   

・さらに、政治家や官僚の能力のなさが問題を引き起こした。たとえば、国交省不況。

   

・日本は経済成長を果たすために多くの経済改革が必要だ。しかし、改革は放棄されている。その責任は、がっかりするような能力やビジョンしか政治権力者層と憲法が生んだ混乱にある。

   

・責任は、まず第一に、安倍前首相。次に、福田首相、そして小沢党首。(それぞれにつき、いろいろ書かれているが、省略)

   

・ほとんどの人は、内部矛盾で破裂している二大政党、異なる政党が支配権を握ることを想定していなかった憲法、政治を国家運営のための有権者の選択の手段でなく、個人的(あるいは一族の)ビジネスとしてきた文化のせいだというだろう。

   

・選挙は、問題を解決しないかもしれないが、政党に自らの立ち位置を有権者に示すようにさせるだろう。

   

最後に、有権者も問題の責任の一端を負わなければならないだろう。

 

というもの。これを読んでの感想。

 

・日本経済停滞の大きな原因の一つとして、政治(家)の責任に焦点を当て、それを明確に論じた点で意義がある。(もちろん日本人の多くも気が付いていたことかもしれないが)。"the incompetence and unpredictability of politicians"とか、"Blame a political establishment of underwhelming talent and vision"とか、キツい言葉が並べられていて小気味よい。

 

・ただし、政治(家)の問題を論ずる記述のほとんどを、安倍、福田、小沢の三人の問題に関するものに割きすぎている。また、その内容も表面的なものばかり。これは、マスコミや政治関係者に面白いネタを提供する(実際、週刊誌でも記事にされている)が、逆にいうとそれに視線が集まり、それで話が終ってしまいかねない。むしろ、そのあとのわずか2つのパラグラフに書いてある以下の文章の方が重要である。

 
   

Most of all, perhaps, blame two parties bursting with internal contradictions, a consititution that never envisaged opposing parties controlling the Diet's two chambers, and a culture that treats politics as a personal, sometimes familiy, business, not a means of offering voters choices about how their country should be run. An election would not solve these problems, but it might be a least encourage parties to tell voters what they stand for.

   

Lastly, the voters must take some of the blame. Ten years ago, when The Economist lamented Japan's amazing ability to dissappoint, one shrewd parliamentarian wrote in to challenge that. The headline, he said, should have read, " The Japanese people's amazing inablity to be dissappointed." A general election would at least give them the chance to start holding their politicians to a higher standard.

 

このあたりを指摘するのはさすが(というより、これぐらいの指摘を国内の人間がちゃんとしておけ、と言いたい)だが、そこをもう少し深く突っ込んで書くべきではなかったか。その点で本記事は物足りない。

 

・また、日本経済に関しても、「改革か、しからずんば死か」的な、割と紋切り型の単純な論法にとどまっている。海外からの視点としてそういうのは分からないではないが、「改革reform」という言葉は、誰でも使う((それこそ反改革派でさえ自分たちは改革しているという)。問題は「改革」として何をどうすべきか、という点がおざなりにされていること。しかし、本記事はそこに触れていない。

 

・進めるべき改革の例として、海外からの投資環境の改善、関税引下げ、農業補助金の削減、自由貿易、外国企業への税制の改善、さまざまな企業補助金の廃止、フレキシブルな労働市場、財政規律、年金、保険、民営化等を挙げている。それらは(海外から見たビジネス環境を重視している傾向が強いが)おおむね頷けるものがあるが、これらの多くが、これまで十分に政治の重要課題として取り上げられていない(何もしていないわけではないのは承知しているが、政治における重要度が十分高いとは言えないし、議論も問題のポイントも必ずしもついていない)。それが問題。

 

・本記事は小泉にやや甘め。確かに小泉はある種の改革を妨げる「抵抗勢力」を押し切って改革を進めた政治手法には大きな評価点が与えられるが、政策の内容としては、比較的重要性の低い郵政改革ばかりに重点が置かれ、それが達成されるとすぐさま政権を投げてしまい、上で指摘した各種の改革に熱心だったとはいえない。というより、その重要さをおそらくは理解していなかったように思える。その意味では、小泉も、安倍ほか他の政治家と同じ穴の狢だったと言えるだろう。そもそも安倍を引き上げることにしたのは小泉であった。

 

・さらに、デフレを長引かせている中央銀行(日銀)の問題に本記事は一切ふれておらず、この点で不適切。

 

・なお、どうでもよいことだが、(以前同誌が見出しに使った)”Japan's amazing ablility to disappoint"というフレーズを何回も記事中で(形を少しづつ変えながら)使われている。この記事の署名がないので誰が書いたのか分からないが、よほど気に入った表現のようだ。つまりは、このフレーズが日本の姿を最も的確に表していると思っているようだ。困ったことに、住んでいるわれわれ日本人にとっては、少しもamazingではないのだ。

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橋下知事反省の弁

本日のアサヒコムに『「橋下節」修正連発 府庁批判影潜める 初の定例会見』と題する記事が出ていた。読んでみて「感動」を覚えずにはいられない。

 
   

「現場を見ずに頭で考えていた。自分の教育論は『机上の空論』だったと反省している」

   

会見の冒頭、橋下知事が反省の弁を述べた。この日、初めて公立学校を視察、その「成果」を強調したのだ。

   

選挙中から「高校の学区撤廃」「学力別クラス編成」を提唱し、学力上位層の競争力を強化する教育改革に意欲を示してきた。9日には府の独自施策である公立小学校1、2年生の35人学級制について「効果に疑問がある」として府教委に見直しの検討を指示した。

   

13日に視察した柱本小では、子どもの理解の度合いに応じてクラスを半数ずつ2カ所の教室に分け、少人数で指導する様子を見守った。橋下知事は「40人、50人でも授業は可能と思っていた。現場を見て、少人数で手取り足取り教えることも必要だとわかった」。

   

その後の会見では、「ただちに持論が変わったわけではない」と語りつつ、「あまりの世間知らずに恥ずかしさを感じました」と反省。府教委などと議論を重ねていく考えを示した。方針変更の可能性についても「独裁者じゃありませんし。結論が妥当ならそういう政策になる」と話した。

 

自分の公約を机上の空論だったとこうも簡単に言い切れるとは。選挙中の公約とはいったいなんだったのだろうか。

 
   

当選後、「原則認めない」と表明している府債も実態は発行する方向だ。橋下知事は会見で「原則は発行ゼロ」と譲らなかったが、08年度当初予算案で約160億円を計上することが明らかになっている。先月30日には、後年度に地方交付税で補われる府債について「僕の知識不足でした」と容認している。

 

府債に対する知識がないのに知事になれるとは。すごいことである

 
   

ただ、どこまで本気で府債発行ゼロを目指しているかは不透明だ。会見でも「必要なものだけ府債は認めますなんて言ったら、職員からどんどん必要性の議論が出てきて、1週間で暫定予算なんて組めるわけがない」と説明。「原則ゼロという号令は組織マネジメントとして必要。収入の範囲で予算を組むという目標達成のための指揮のやり方」と解説した。

   

「計算していなければ、単なる馬鹿でしょう」。会見で橋下知事が語気を強めたのは、議論を巻き起こすことを計算したうえで発言しているのかと問われた時だった。自らの発言で「おおいに世間で議論してもらいたい」というのが橋下知事の立場のようだ。

 

ああ、そうだったのですか。すべて計算されていた発言だったのですね(笑)。御見逸れしました。

 
   

だが、威勢のいい「橋下節」はトーンダウンしたものも多い。1月の公開討論会で「僕が立候補した最大の理由」と言い切った情報公開の徹底は、府側との予算折衝や議会との意見交換を冒頭部分しか公開せず、「初めからの公開では改革は進まない」と後退した。

   

赤字隠しが発覚した際は「職員性悪説」と府庁をやり玉に挙げたが、この日の会見では職員をねぎらい、暫定予算を編成した財政課への賛辞を繰り返した。

   

橋下知事が初当選した際、戦々恐々だった府幹部は胸をなで下ろす。「表で無理なことをぶち上げても、裏では落とし所を考えてくれている。仕えやすい上司や」

 

そうでしょう、そうでしょう。さすが「弁護士」ですね。

 

あまりの機会主義的、御都合主義的な発言にあいた口が塞がらない。ただ、こうもあっさり自分が間違っていることを認めるというのも、なかなかできないことではある(もっとも選挙時の公約自体が何にも考えていない無謀なものであったせいでもある)。

 

役所がやっていることは(もちろん変なものも多いけれども)リーズナブルなものが多い。それを理解して支持してくれるのであれば、府の職員もやりやすい。あとは、様々な抵抗が多い政策をどう進めていくのか、長期的な課題に取り組めるのか、といった点が課題だろう。ひとまず、今後の動静をウォッチ。

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日経「迷走ニッポン」(上中下)を読む

新聞を整理していたら、先週初めごろの日経新聞朝刊一面左上の特集欄で、「迷走ニッポン」という記事を見つけた。3日続けての連載で、それぞれ別の日経の編集委員が記事を書いている。3人の編集委員の間の良しあしがはっきり現われたのだが、酷い方は本当に酷いと改めて感じ入った。

 

初日(上)は、滝田洋一編集委員。ダボス会議の話題から入り、このところの株式市場の下落において、日本の株式が非常に売られたのは、日本に失望した外国勢が逃げ出したこと、経済全体が「上げ潮」にないこと、しかし、規制緩和のピッチは落ち、企業防衛を優先する空気が経営者に広がっている、この中で、経済開国、それと合わせた国内の構造改革という成長戦略が必要であることを淡々と語っている。内容的に、個々の点では文句をつけたいところがあるのだが、基本的に事実や他の人の発言を引用していることもあって、まあ何とか落ち着いて読める文章である。

 

しかし、このあとが酷い。二日目のA編集委員は、日本の企業の今後の将来について書いているのだが、「重要なのは次の成長に向けてイノベーション力を磨くことだ」と上の方から見下ろすようなお言葉。イノベーションが大事ということくらい、日本企業の経営者だって馬鹿じゃないので知っていると思うのだが。問題はその先ではないのか。だいたい、「イノベーション力」って何よ、と問いたくなる。

 

さらに進むと、

 
   

「成長の余地が大きいのはむしろサービス分野かもしれない。・・・こうした分野が製造業並みにグローバル化すれば、日本の産業構造はより多様化し、強じんになる。一朝一夕に実現する話ではないが、志のある経営者の登場に期待したい」

 

だと。結局「志」の問題に帰着させるつもりなのだろうか。志のいない人間がいなかったら、それっきりになるしかないだろう。「志のある経営者に期待したい」など、学生の書く小論文ならいざしらず、いくら何でも天下の日経新聞の編集委員が書く文章ではないと思うのだが。

 

最後は、

 
   

「経営者にとって、今の局面で必要なのは英語でコーシャス・オプティミズム(用心深い楽観主義)」の心構えだろう。その上で、成長へのビジョンを打ち出し、逆風を克服してほしい」

 

と結んでいる。企業経営に携わっていない新聞の編集委員に、「心構えをもて」「成長へのビジョンを打ち出せ」と言われて素直にうなずいてそうする経営者がいるのだろうか。野球のファンが贔屓の球団の選手や監督にあれやこれや文句付けるのと似て、部外者が勝手なことを言っている、という風にしか見えない。

 

三日目のB編集委員は政治を中心に書いている。経済成長に向けて政治の取り組みが必要だという結論自体には同意するけれども、その発想には首をひねる所が多々見られる。例えば、経済財政諮問会議が地方の格差を拡大したという自民党議員からの発言を紹介しつつ、

 
   

「(経済財政)諮問会議悪玉論に欠けているのは、日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまうという危機意識だ。意識欠如は格差是正や国民生活第一の名のもとに、ばらまき復活を勢いづける。」

 

これも結局、政治家の「意識」に問題を帰着させてしまっている。しかし、こうした格差が拡大したという不満は、実際に一部の国民の間に存在するのだから、それを反映した声が国会議員を通じて出ること自体、別に不思議ではないだろう。逆に、「日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまう」と、さも決まった真理のようにいうが、それは一体どこで正しいと決まった命題なのだろうか。格差問題についてはどう対処すべきだというのだろうか。だいたいよく日経が連呼する「構造改革」とは、(どこぞの元首相と一緒で)何が構造改革なのか、まったくハッキリしないイメージだけの用語である。具体的に政府が何をすべきなのかを論じず、あやふやで具体性のないイメージだけで気に入らない意見をいう相手を批判するのであれば、B編集委員のいう「国民不在の政争、駆け引き」を行う国会議員と同じだろう。

 

最後は、

 
   

「わたしたち現世代の未来世代へ馳せる思いが政治の貧困を打ち破る」

 

で結ばれているが、この文章って何?と思わないだろうか。これって、「予測」か、「希望」か、それとも「歴史的な経験則」なのか。「わたしたち現世代」は「未来世代への馳せる思い」を持っているのか(本当か?)、それとも「わたしたち現世代」はこうした思いをもたなければいけないのか(一般国民を上から見下ろす目線だ)。「政治の貧困を打ち破る」っていったいどういうこと? いままでもずっと政治の貧困はあったと思うが、ほとんど何も変わっていないように思うが。それはわたしたちが未来世代へ馳せる思いをもっていなかったということだろうか。普通に読むと、何をいいたいのだか分からない不可解な文章であるし、悪く読むと、一般国民に向かってこうした意識を持てと言っている、まるで戦時中の新聞のような文章であるが、こうしたことを平気で紙面に書けるというのはすごい。思わず苦笑してしまった。

 

こうみると、滝田編集委員はともかく、A編集委員も、B編集委員も、具体性をもった代替案を述べずに、一方的に「○○は正しい」と決め付け、解決策を人々の「意識」「思い」「志」の問題に帰着させていることが分かる。上から「こんな意識を持て」「あんな志をもてほしい」という姿勢だ。しかし、こうしたことを新聞の編集委員に高みから言われて説得される人など普通いないと思うのが常識的であろう。自分たち新聞記者はこの程度のレベルのことしか書けないという自覚は、編集委員の方々にはないのだろう、やはり。

 

##日経を読んでいるとよくこのような思いに駆られる。でも、それで、いちいちこんなことを書いているとキリがない。今日も、こんなことを書いて時間の無駄だったという気がしてきた。

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大阪府知事に橋下徹弁護士が当選

私は大阪府民ではないので、有権者の選択の結果について云々するつもりはない。

 

しかし、もともと政治の経験が全くないこと、出馬について当初200%ないと明言していたのを翻して出馬したことを含め、これまでの発言や行動には様々な疑問が呈せられていること、出馬に対しては冷ややかな声が強かったこと・・・このような人が首都に次ぐ第二の経済圏の中心の都道府県の知事としてこの人が決まってしまう、ということに、正直嘆息せざるをえない。

 

もちろん、今後、橋下氏が知事として素晴らしい業績を残すことだってあるかもしれない。でも、それは誰が当選しても同じことがいえる。また、対抗馬の熊谷氏等に当選してほしかった、ということでもない。私が問題にしたいのは、この人にすれば政治が良くなるという、政治における能力を大多数の選挙民が判断して投票しているのでは全くなく、単にテレビ等で見てよく知っている、親近感がある、というだけで投票しているだろうことである。そして、政党も、そうしたことを見込んで、そうした能力的に「?」のつく人でも出馬させている、ということである。

 

確かに、こうした意味でのタレント候補は昔からいる。その意味で、昔から同じといえば同じだが、個人的な感覚では最近ますますひどくなっている様に思う。大阪は横山ノックに懲りていないのか。もちろん、対抗馬が政治的能力という意味で信頼に足る候補だったのか、という問題もあるが。

 

もう少し、国政なり都道府県知事なりの選挙に出ようという人には、政治家としての研鑽を積ませるような仕組みにはできないものか、それを有権者が時間をかけて吟味するような形にできないものか、とも思うが、こう嘆いてもある意味仕方がないという虚しさも一方で感じる。そのような、テレビで顔を売った人が安易に当選できるということ、それは人々にとって政治(大政治のこと)が自分たちから遠いものとなっている証左であろう。もともと、戦後日本が進みにつれて一般市民と政治の距離が離れているように思うが、特に、近年は、政党と個人を結びつけてきた様々な「仕組み」(それは様々な業界団体であったり労働組合であったりするわけだが)が融解しており、政治とのつながりがほとんどテレビだけになっているわけである。

 

しかし、多くの人々は、テレビでの政治家の議論と、自分たちの生活その他関心がうまく結びつけられていない。毎日毎日のニュースに、刹那的に、条件反射的に、反応しているだけである。選挙民に、結びつける努力が見られないこともある。いつも、何か、幸運が空から降ってくるのを待っているようである。また、結びつける能力も持ち合わせていない、そうした訓練を受けていないこともある。テレビから得られる候補者への親近感が物を言うのである。同時に、政党の方も、そうした状況に対応して、コストと時間をかけて政治家を育成するよりは、安易な候補を立てるというわけである。スパイラルである。

 

こうしたことが繰り返されるのも、みんななんとか暮せている、という安心感がいまだに大半の人の心のどこかにあるからのような気もする。こうして国はむしばまれていくのだろうか。

 

・・・てな愚にもつかぬことを、大阪府知事選の結果を聞きながら、思った次第。

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