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書評:海部美知『パラダイス鎖国』(アスキー新書)

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54) (アスキー新書 54) パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54) (アスキー新書 54)

著者:海部 美知
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本書については、先日このブログでまとめを書いたところだが、それに対する自分の考えを整理するに時間がかかってしまった。言い足りないことも多々あるだが、ひとまずの整理はできたので、以下に記してみたい

 

1.「パラダイス鎖国」というベクトル

  「パラダイス鎖国」とは、経済の実体を示すだけではなくて、内向きにこもって安住していたいという心理的な傾向も示すような響きのある言葉である。著者が意識しているかどうか分からないが、この言葉には、日本経済とか、企業活動とか、あるいは個人の消費活動とかいった「実体的なもの」に関するものと、人々の意識や心理に関するものの2種類が含意されていて、1980年代やそれ以前と比較した時の、現在の日本の経済の実体と心理の「方向性」あるいは「ベクトル」をうまく表現しているように思われた。 

確かに、絶対水準で1980年代と比べると、実体面では、明らかに日本市場の対外開放度や企業のグローバル化度は高いであろう。日々の生活においても、外国人の姿(欧米人だけでなくアジアからの人々、それ以外の地域の人々)は当たり前のように身の回りで見られ、心理的な抵抗感や偏見も少なくなっているように思われる。しかし、「ベクトル」という点からすれば、かつてのように明らかな開国へ向かっていた方向とは異なり、できれば内に閉じこもうという傾向が目立つようになっている。本書の第一章で書かれているいくつかの事例はまさにそのようなものだが、このほかにも、例えば、先日のFTの記事について書いたように、日本の企業社会や政府は、外資を含めヨソモノを相変わらず受け容れることに相変わらず消極的な傾向が強いことをあげることができる。近年、マスコミやネットで見られる日本に閉じこもろうとするような退行的な言論も別の一例としてあげることができるかもしれない。こうした日本で広く見られる実体的な事象、そしてそれらに共通する心理的傾向を、「パラダイス鎖国」という言葉で適格に表現しているのが著者の秀逸なところである。私が「パラダイス鎖国」というフレーズに共感してしまうのは、こうした1980年代までの日本で感じられた「ベクトル」と、現在の日本で感じられる「ベクトル」との間にある明らかな相違を実感するからだと思う。 

 

2.議論の混乱 

ただ、こうした「パラダイス鎖国」状態がなぜ克服され、「ゆるやかな開国」に向けて進むべきなのか、という点についての本書の説明には、どうも説得力があまり感じられない。もう少し具体的にいうと、パラダイス鎖国について語った第1章、第2章と、多様性のある社会へ進むことを問いた第3章、第4章との間には、齟齬が感じられ、すっきりつながってこないのである。なぜなら、第1章、第2章では国を開くか閉ざすかという問題が主に述べられているのに対して、第3章、第4章で語られているのは、むしろ多様性をもった社会で試行錯誤を繰り返していくかどうか、という点だからである。わかりやすく言えば、著者が本書の後半で主張する多様な価値観をもった人々がいろいろと試行錯誤を繰り返していってイノベーションを生み出していくような社会は、海外との関係が一切なく、国内だけでもを作ることは十分に考えられるからである。無論、多様な価値観を持った人々には海外の人間も含まれうるし、おそらくその方が多様性が高まり著者は望ましいと考えるだろうと思うが、海外に開かれることは第3章や第4章で述べられる著者の主張においては絶対的な必要条件ではないように読める。 

こうなってしまったのには、一つには、著者が「海外に出るか/国内に留まるか」というモノサシだけで現状の問題を語ろうとしまったからではないかと思う。確かに、この尺度で見た内向きの傾向というのは今の日本の一つの傾向を端的に表している(その意味では「鎖国」という言葉は適切な言葉である)。しかし、著者が本書の後半で述べる主張からすれば、前半では文字通りの「鎖国」状態だけではなく、「居心地の良い今の環境、自分がよく知り慣れ親しんでいるものに安住したい」「新しいものを危険を冒して取りに行くよりも、既得のものを守ろう」という「守り」の心理や行動、さらに、それに対する批判に対して、むしろ「現在の居心地のよい環境や自分たちの慣れ親しんだものを積極的に肯定しよう、自分たちの良い面を見よう」という「反動」の心理や行動を、現在の日本の問題とすべきであったように思う。それほど「パラダイス鎖国」というフレーズはインパクトが強い表現なのだろうが、逆に著者自身がその言葉(特に「鎖国」の部分)に引きずられて議論がゆがめられてしまった感じだ。 

こうした歪みがあるせいなのだろうか、特に第2章は何がいいたいのかよく分からなくなっているように思われる。例えば、著者は「パラダイス鎖国」現象の本当の問題として、「海外におけるジャパン・ブランドの低下」「日本の社会の変化が遅く、外界の変化についていけなくなっていること(議論の分かれない部分にだけエネルギーを集中)」 「海外への自然なあこがれを日本人のインセンティブとすることができなくなっていること」の3点であるが、よく考えると、これらがどうして問題なのかがはっきりしない。 

       
  • 「ジャパン・ブランド」がどうして重要なのだろうか。確かに、海外で「ブランド」を確立していれば海外で売れるとは思うが、それは一部の輸出産業(特に大衆消費財)についていえることであり、必須の条件とはいえないのではないだろうかまた、これが個々の企業だけではなく、「内需中心」の日本経済全体、あるいは日本の個々人にとってどのような意味で重要なのかが分からない。個々の企業の製品のプランドを「ジャパン」という国籍と結び付けている点も安易に思える。
  •    
  • 「パラダイス鎖国」という言葉が「外界には関心を持っていなので、特に対応しなくてよいだろう」という意識のことを指すのだとしたら、「変化が遅くて外界に対応できていないこと」自体はトートロジーに近いし、そもそも日本が「変化が遅くて外界に対応できない」というのは昔から言われていたことのように思う。むしろ、このことがどのような意味で問題なのか、すなわち、外界の変化になぜ迅速に対応しなければならないのか、という点をもっと述べるべきであっただろう。その際には、この点が誰(何)にとって重要なのかという説明も必要である。
  •    
  • 「海外への自然なあこがれを日本人のインセンティブとすることができなくなっていること」という点も、かつてとの比較で現在日本が「パラダイス鎖国」になったことの説明の一つになっているに過ぎず、これが、誰(何)にとってどんな問題なのかが語られていないように思う。著者の考え方は、海外へのあこがれが日本人の労働インセンティブにかつてはつながった、そして海外へのあこがれの喪失が日本人の労働インセンティブの喪失につながっている、という議論に私には読めたが、確かにそういう関係は一部にはあるだろうとは思うものの、海外へのあこがれで人々の労働インセンティブの多くを説明するのはかなりバランスを欠いた議論のように思える。 

こうして見ていくと、筆者の議論にはある種の思い込みや偏りがあってそれが混乱を生んでいるところがあると思う。一つは、海外への憧れ(人々のインセンティブ)→輸出(海外で売れること)→日本製というブランドの確立→経済発展/国際競争力(?)というような図式を想定していると思われることである。一部にはそうした関係もあることは否定しないが、海外での日本企業の活動自体を過剰に重視していて、これですべて説明するのは経済学的に言って無理がある。日本のように内需中心の大国では、国内での経済活動の方を問題とする考え方の方が真っ当である。 

また、著者の経歴からするとやむをえない気もするが、どうしても海外で製品を売るような産業、特に携帯電話等の電機産業に偏りすぎている印象がある(あくまでも憶測だが、本書やブログの読者にも多少の偏りはあるのではないか)。上で述べたとおり、国内中心の産業(例えばサービス産業)はどうなのか。また、海外での売り上げの大きい産業といっても、電機メーカのほかに、自動車メーカはもちろん、多少地味だが素材メーカ等、世界的シェアが高い企業は日本にかなり存在する。むしろ、日本の電機業界は、モジュール化の進行の中で比較優位を失っている点もあるので、これだけをもって、現状の日本全体の問題点を語るのは十分とは言えないだろう。 

さらに、本書全体を通じてそうなのだが、日本の何について語っているのか、という点もごっちゃになっている印象がある。つまり、日本社会を構成するひとりひとりの個人(=労働者/消費者)のことか、日本をベースとする企業のことか(なお、本書で語られているのは一部の産業のみ)、それとも日本全体(マクロ経済、社会全体、あるいは国家)のことか、いずれもあまり区別されてないで論じられているように思う。しかし、これらは相互に密接に関連しているものの、これらがすべて同じ方向を向いているはずはないし、いつも同じ利害を共有しているはずもない。多様性のある社会を望む著者の主張からすれば、むしろそれらを明確に区別していくことが必要と思うのだが。 

特に第2章の議論には、他にも問題とすべき点が多いように思う(特に経済学的な視点からすると)。いちいち噛み付ける気力体力能力もないが、一つだけ例を挙げれば、「国際競争力」のランキングを使っていることである。これはいろいろと問題が多く(詳細は省くが、例えば飯田泰之『ダメな議論』(ちくま新書)第5章参照)、これを使って議論するのは不適切と思われる。この第2章に限らず、全体を通しても、議論の組み立てという点でいえば、まだまだ課題が多そうだいというのが本書を読んでの感想である。

 

3.現在の日本の何を問題と考えるべきか 

では、著者が本書の後半で述べる主張の観点から言えば、今の日本の何が問題なのか。現在の日本での様々な現象を考えるに、私は、日本が成熟した先進国となった今、様々な持てる「資源」(金融資産、物的資産、人的資本、さらには技術といったもの)を有効活用することが必要になっているにもかかわらず、それら資源を有効に活用できていないし、また有効に活用すべき術を理解していないことが一番大きいと思う。 

その一つの例は、第4章で述べられている雇用である。本書で問題とされているように、終身雇用的な慣行には利点もあるのだが、必要なところに必要な人材を配分することを難しくするという欠点もある。市場原理は以前よりも導入されており、終身雇用的な雇用慣行もかつての力は失われつつあるが、しかし今だ強固に主要企業のコア部分で継続しており、現状では、人材の有効活用という点では有効に機能していない。 

また、著者のブログで最近述べられている「成長」の話題も、結局、日本企業は持っている資源の使い方が基本的に下手であることを示しているように思う。極端に言っててしまえば、日本企業は、「できるだけ効率的にお金を儲ける」という原理に忠実でなく、手間をかけずに儲けるために知恵を絞ることをサボっているのだ、と私は考えている。 

もはやかつてのように放置していても自然と高度成長が進むような状況は望めず、資源(資産、人的資本など)が限られてきているという環境変化を念頭に置くならば、日本としては、いかにして、この限られた資源を有効に活用していくかという「術」に頭を働かすべきである。今までのようなひたすら一点にむかってひたすら頑張る(こういった姿勢がなぜか日本では美徳とされるのだが)という戦術(著者の言葉でいえば「果てしなき生産性向上戦略」)は、かつては成功したが、それを今なお皆がこぞって続けるのは能がない。まるで、日露戦争で成功した戦術を太平洋戦争でも使い続けた旧軍みたいなものである。著者が本書で主張する国内、既存の組織の資源ばかりに頼らず、多様性を増大させ、「試行錯誤戦略」も採用していくことは投資戦略としても妥当だし、またそうした途を模索していくべきであろう。そうした意味で、著者が本書の後半で述べている方向性には同意できる。「プチ変人」を含めた多様な人材を許容していくこと、気軽に転職できるようになったり外部の人材を登用できるようになったりすること、時代に合わなくなった仕組みに固執せず新たなシステムに向かうことなどは、確かに有意義であろう。

 

4. 多様性のある社会は実現するか 

しかし、目指すべき方向性があるとしても、それを実現することは別の話である。例えば、著者のいう雇用の流動化についても、かねてより主張する人は多いが、なかなか実現しない。新卒の人間にまで強い終身雇用願望が存在している現状がある。実際、雇用流動化を進めることには中立的な立場の人からも否定的な見解が示されることもある。 

著者の主張するゆるやかな開国、多様性のある社会、あるいは厳しいぬるま湯などをどのように実現するか。どのように日本をフルモデルチェンジしていくのか。ここが大きな課題である。そこは著者の考えを知りたかったところだが、残念ながら、本書はそこには触れていない。どちらかというと、こうしたものをつくりたいという願望を描いたラフな企画書・スケッチに留まっており、その実現性まで考慮したプランに至っていない。その点に本書への物足りなさをを感じたのは事実である。ただ、これが大変難しい課題であるのも事実であり、私もここで論じる余裕はない。 

しかし、それでも、「パラサイト鎖国」論を通じて、現状に感じている閉塞感を打ち破りたいと感じている数多くの個人に、それを解消する未来像を分かりやすく示している点は大いに評価できると思う。心理的な閉塞感の解消を期待させる本書には、共鳴する一般の読者は多いだろうと推測する。その意味では、新書版という手軽な媒体を通じて、日本に住む個々人の意識を徐々に変えていき、それを将来の変革へつなげていく可能性を開いたことにこそ、本書の意義があるのかもしれない。

* 著者は、ブログで「 ち なみに、読者の皆さんへのお願いです。本の感想は、ぜひ、mixiとかのクローズドな媒体だけでなく、アマゾンの書評にも書き込んでください!」と書かれ ているが、とてもAmazonのレビュー(800字)には入りきらないので、ひとまずこのブログに置いておくことにする。Amazonには別途簡潔なバージョンを書ければよいとは思っているが、本書の販売促進からいうと迷惑な書評になってしまうかも。

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コメント

海部です。実に、私が書いている間に感じた限界とか苦悩とかを、見事に見透かしておられる書評だったので、感心いたしました。まったく、そのとおりです。これだけ、真剣に拙著を読んでくださったことに感謝します。

投稿: Michi Kaifu | 2008年3月23日 (日) 14時02分

>海部さま
早速ご連絡いただいたので恐縮してます。少々言い過ぎている所もあったのではないかと思いますが、失礼がありましたらお許し下さい。いろいろ書きましたが、今の日本にとって意義深い一冊と思っていますので、より多くの人に読んでもらえるとよいと期待してます。ブログも楽しみにしています。

投稿: enka | 2008年3月23日 (日) 22時31分

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