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日経「迷走ニッポン」(上中下)を読む

新聞を整理していたら、先週初めごろの日経新聞朝刊一面左上の特集欄で、「迷走ニッポン」という記事を見つけた。3日続けての連載で、それぞれ別の日経の編集委員が記事を書いている。3人の編集委員の間の良しあしがはっきり現われたのだが、酷い方は本当に酷いと改めて感じ入った。

 

初日(上)は、滝田洋一編集委員。ダボス会議の話題から入り、このところの株式市場の下落において、日本の株式が非常に売られたのは、日本に失望した外国勢が逃げ出したこと、経済全体が「上げ潮」にないこと、しかし、規制緩和のピッチは落ち、企業防衛を優先する空気が経営者に広がっている、この中で、経済開国、それと合わせた国内の構造改革という成長戦略が必要であることを淡々と語っている。内容的に、個々の点では文句をつけたいところがあるのだが、基本的に事実や他の人の発言を引用していることもあって、まあ何とか落ち着いて読める文章である。

 

しかし、このあとが酷い。二日目のA編集委員は、日本の企業の今後の将来について書いているのだが、「重要なのは次の成長に向けてイノベーション力を磨くことだ」と上の方から見下ろすようなお言葉。イノベーションが大事ということくらい、日本企業の経営者だって馬鹿じゃないので知っていると思うのだが。問題はその先ではないのか。だいたい、「イノベーション力」って何よ、と問いたくなる。

 

さらに進むと、

 
   

「成長の余地が大きいのはむしろサービス分野かもしれない。・・・こうした分野が製造業並みにグローバル化すれば、日本の産業構造はより多様化し、強じんになる。一朝一夕に実現する話ではないが、志のある経営者の登場に期待したい」

 

だと。結局「志」の問題に帰着させるつもりなのだろうか。志のいない人間がいなかったら、それっきりになるしかないだろう。「志のある経営者に期待したい」など、学生の書く小論文ならいざしらず、いくら何でも天下の日経新聞の編集委員が書く文章ではないと思うのだが。

 

最後は、

 
   

「経営者にとって、今の局面で必要なのは英語でコーシャス・オプティミズム(用心深い楽観主義)」の心構えだろう。その上で、成長へのビジョンを打ち出し、逆風を克服してほしい」

 

と結んでいる。企業経営に携わっていない新聞の編集委員に、「心構えをもて」「成長へのビジョンを打ち出せ」と言われて素直にうなずいてそうする経営者がいるのだろうか。野球のファンが贔屓の球団の選手や監督にあれやこれや文句付けるのと似て、部外者が勝手なことを言っている、という風にしか見えない。

 

三日目のB編集委員は政治を中心に書いている。経済成長に向けて政治の取り組みが必要だという結論自体には同意するけれども、その発想には首をひねる所が多々見られる。例えば、経済財政諮問会議が地方の格差を拡大したという自民党議員からの発言を紹介しつつ、

 
   

「(経済財政)諮問会議悪玉論に欠けているのは、日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまうという危機意識だ。意識欠如は格差是正や国民生活第一の名のもとに、ばらまき復活を勢いづける。」

 

これも結局、政治家の「意識」に問題を帰着させてしまっている。しかし、こうした格差が拡大したという不満は、実際に一部の国民の間に存在するのだから、それを反映した声が国会議員を通じて出ること自体、別に不思議ではないだろう。逆に、「日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまう」と、さも決まった真理のようにいうが、それは一体どこで正しいと決まった命題なのだろうか。格差問題についてはどう対処すべきだというのだろうか。だいたいよく日経が連呼する「構造改革」とは、(どこぞの元首相と一緒で)何が構造改革なのか、まったくハッキリしないイメージだけの用語である。具体的に政府が何をすべきなのかを論じず、あやふやで具体性のないイメージだけで気に入らない意見をいう相手を批判するのであれば、B編集委員のいう「国民不在の政争、駆け引き」を行う国会議員と同じだろう。

 

最後は、

 
   

「わたしたち現世代の未来世代へ馳せる思いが政治の貧困を打ち破る」

 

で結ばれているが、この文章って何?と思わないだろうか。これって、「予測」か、「希望」か、それとも「歴史的な経験則」なのか。「わたしたち現世代」は「未来世代への馳せる思い」を持っているのか(本当か?)、それとも「わたしたち現世代」はこうした思いをもたなければいけないのか(一般国民を上から見下ろす目線だ)。「政治の貧困を打ち破る」っていったいどういうこと? いままでもずっと政治の貧困はあったと思うが、ほとんど何も変わっていないように思うが。それはわたしたちが未来世代へ馳せる思いをもっていなかったということだろうか。普通に読むと、何をいいたいのだか分からない不可解な文章であるし、悪く読むと、一般国民に向かってこうした意識を持てと言っている、まるで戦時中の新聞のような文章であるが、こうしたことを平気で紙面に書けるというのはすごい。思わず苦笑してしまった。

 

こうみると、滝田編集委員はともかく、A編集委員も、B編集委員も、具体性をもった代替案を述べずに、一方的に「○○は正しい」と決め付け、解決策を人々の「意識」「思い」「志」の問題に帰着させていることが分かる。上から「こんな意識を持て」「あんな志をもてほしい」という姿勢だ。しかし、こうしたことを新聞の編集委員に高みから言われて説得される人など普通いないと思うのが常識的であろう。自分たち新聞記者はこの程度のレベルのことしか書けないという自覚は、編集委員の方々にはないのだろう、やはり。

 

##日経を読んでいるとよくこのような思いに駆られる。でも、それで、いちいちこんなことを書いているとキリがない。今日も、こんなことを書いて時間の無駄だったという気がしてきた。

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