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書評『IT産業崩壊の危機』(田中克己著)

IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり

著者:田中 克己
販売元:日経BP社
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日経コンピュータ誌等のコラムを再編集したものである。IT産業(ITベンダー会社やITサービス会社、ソフト開発会社等)の近年の「苦境」が説明されている。大手ベンター(NEC、富士通、日立等)をはじめとする業績の低迷、輸入製品・技術への依存、ソフトの不具合、過酷な労働実態、技術レベルの低下・・・、さらに政府からも見捨てられつつある・・・。

 

こうしたIT産業の現状を一般の読者に知らしめるという意味では本書に意義はある。 ただし、肯定的な評価ができるのはここまである。全体にわたる印象として、日本のIT業界についての目に見える現象をひととおり集めているが、既存の文章を集めたもので読みにくい上に、業界先にありきの発想で表面的な議論に終始しているだけで、問題の原因に対する十分な洞察が全く見られず、読んでいて強い苛立ちを覚えた。IT業界はこうした発想でこれまで様々に取り組んできたものの、結局のところ「苦境」を克服できてないではないか。

 

本書を読んでも分かるように、日本のIT企業は、資金、労働、技術といった資源を投入している割に利益が上げられていない。そして、価格競争の中で無理に利益を上げようとして、SEなどに無理な労働をさせている、そのために品質が確保できないし、人材も集まらない。余裕もないから、研究開発等への投資も十分に行われない。海外企業に比べても劣る。日本のIT産業の姿はそのように見える。

 

これは、端的にいえば、日本のIT企業は、海外企業に比べても、その事業に優位性がない上、市場に居座ろうとして様々な問題を惹起している、ということである(こうした状況になった大きなマクロ経済的背景としては日本経済を長年覆っているデフレの影響もあると思うが、それはここでは横に置いておく)。こうした利益が上がらない状況であれば、経営者(あるいは株主)としては、撤退や事業の売却等を考えるべきではないのだろうか。コスト面でも品質面でも優位にある外国企業に任せるべきではないのではないだろうか。そうすることが、過酷な労働を強いられるエンジニアにとっても、そして日本経済にとっても良いことなのではないのだろうか。少なくとも、そのような状況で明確な見通しが持てない現在、日本の人材、資金等をこれまで通り日本のIT産業に投入すべきというのは、企業にとっても日本経済にとっても良いことか、疑問に思って然るべき。

 

しかし、今のところ撤退等の戦略をとる日本のIT企業はそれほど表にあらわれてきていないように見える。そのような選択がなされてない原因としては、資本市場のガバナンスが効いていない、労働者の保護が遅れている、などが考えられる。それに加えて、確かな見通しがないにもかかわらず、(成長産業だ、基幹産業だとのイメージもあるのだろう)IT事業をなんとか成長させなければならない、という日本の業界の発想に凝り固まっていることも一因としてあるのではないか、と著者の文章を読んで感じるのである。

 

本書での著者の議論が致命的なのは、「日本のIT産業はなんとか発展させなればならない」という業界中心の発想からまったく抜け出ていないことだ。それが端的に表れているのが、『「国産ITを育てる施策が必要か、不要か」と単純に質問されれば、誰もが必要と答えるだろう』(p37)という文章である。しかし、そんなことはまったくない。筆者は不要派である。そもそも、なぜIT産業を海外企業に任せてはいけないのだろうか?なぜ輸入技術に頼ってはいけないのだろうか?これまでも国内IT産業の発展のため所管省庁が行ってきた施策により事態がどれだけ改善したのか?ユーザとしては国産でなくても全く困らないのではないか?およそ経済合理的な限り、そうしてはならない理由は見当たらないのではないか?

 

にもかかわらず、国産ITに固執するのは、経営者として合理的な思考の結論ではない。むしろ、かつての成功者としての面子へのこだわり、あるいは現在の職を失うことへの強い恐怖心によるのではないのかと想像される。環境が変化し、自分たちがこれまで食べてきた体制がそれに適応できなくなったにも関わらず、体制をなんとか維持しようとしてもがく姿に見える。だが、それは、例えば、農産物自由化をおそれる日本の農業団体の姿であり、1980年代に日本車に押されていたアメリカの自動車メーカーの姿と同じではないか、と思わないのだろうか(ちなみに日本の農業も、米国の自動車メーカはますます低迷の度を増してきたのは言うまでもない)。 どうやらIT企業も、これらと同じような発想で語られるようになったようだ。

 

このように、国産にこだわり、不採算なIT事業からの撤退をオプションとして考えていない姿勢は、マイナスの効果しか生み出さないのではないか。撤退しなければ、他の産業で有効に活用できる資源を、採算のとれない事業に投入する、あるいは、エンジニアに過酷な労働を強いる、日本経済全体からみれば、人材や資金、技術を有効に使えない、ということにしかならないのではないか。

 

本書の提言に目新しさはなく、これで明日が切り開けるとは思えない。著者と同じような業界中心の発想から、IT産業の発展のために、これまで様々な施策が業界を所管する省庁によって講じられてきた。採算性の悪い産業に対して、成功するかどうか分からない新事業等に公的な支援が与えられてきた、しかし、これまでの経験からいえば、これらの政策によって、事態がいったいこれまでどれだけ自体が改善しただろうか。これまで問題の解決になってこなかった現実を著者はどう見るのだろうか。

 

利益の上がる事業をやらないとだめだというのは当然である。あまりに当然過ぎてあえて言う必要性がないことだ。問題はどの事業が利益があがるかということであるが、それが予めわかれば苦労はしない。少なくとも結果を見れば日本のIT企業の経営者たちの決断は正しいものとはいいがたいが、それでもそこは経営者の才覚に任せる話であって、政府の施策で対応するのは筋違いである。本書には、そうした点への配慮は見らず、安直に政府の施策を含めた弥繕策を述べているだけである。

 

結局、IT企業に対しては、付加価値を上げる、付加価値があげられない事業は行わない、ということに尽きる。どの事業に投資するかは各企業の判断である。適切な判断ができない企業には撤退してもらう、ということである。著者は「IT産業は見捨てられた」と嘆いている。「見捨てる」「見捨てない」という特定の価値観に偏った言葉で表現するのは不適切極まりないが、IT産業を突き放す態度こそ日本経済全体にとっても最も適切である。

 

いま求められているのは、著者のように「一国の業界の在り方をどうするか」と内向きの発想で物事を考えることではないはずだ。重要なのは、本書の論ずるように国産ITを育成して業界の発展を図ることではなく、個々の企業が自らの判断で経済合理性に従い柔軟に対応することではないかと思うのだが、どうだろうか。

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コメント

業界ごと切り捨てることは簡単だけれど・・・
そうやって切り捨てていって何が残るの?
アニメ? フィギュア?

投稿: 郁 | 2008年8月 4日 (月) 10時25分

レス遅れてすみません。何せ最近更新おろそかにしているもので。

>業界ごと切り捨てることは簡単だけれど・・・

「業界ごと切り捨てる」とは、私の意図したところを必ずしもよく言い表しているように思えないのですが。言いたかったのは、現実に多くの分野で利益をあげていない事業を後生大事に抱えているというのは企業の経営として、あるいは資源の使い方として、おかしいのではないか、ということなのです。

>そうやって切り捨てていって何が残るの?
アニメ? フィギュア?

「アニメ、フィギュア」ですか(苦笑)。日本には非常にたくさんの産業がある、しかも利益を上げている産業がたくさんあると思いますが。まさか、IT産業とアニメとフィギュアしか利益を上げてないのでしょうか。

また、もし「特定の産業は人為的に維持すべき」みたいな考え方をお持ちであるなら、まさにそうした考え方をやめてほしい、というのも私の言いたいことの一つです(拙稿に明示的に書いていないかもしれませんが)。

投稿: enka | 2008年8月14日 (木) 06時24分

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