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2008年2月

書評「iPhoneが日本に上陸する日」(山根康宏著、技術評論社)

iPhoneが日本に上陸する日 iPhoneが日本に上陸する日

著者:山根 康宏
販売元:技術評論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

本書は、iPhoneという魅力ある携帯端末の登場を受け、その魅力を述べるとともに、これを日本で利用するに当たって多くの障壁があることを示すことを通じて、垂直統合型の日本の携帯電話ビジネスの問題点を上手くあぶりだしている。

 

iPhoneについて書かれた書物は既に何冊か存在する(例えば林信行「iPhoneショック」)が、本書がこれらに比べて良いと思われるのは、通信事業者やメーカのサイドから企業経営や戦略等を論じるというよりも、ユーザの視点をメインに、iphoneの可能性とオープン化の利便性、日本の携帯電話ビジネスモデルの弱点を明らかにしていることである。すなわち、日本企業の採用してきた垂直統合型モデルに一定の理解を示しつつも、時代の流れは日本以外で採用されているオープン化(iPhoneはその下での利用を基本としている)であり、ユーザの立場からもオープン戦略が求められる、としている(なお、最終節の表題が「日本的垂直統合モデルの長所を生かせ」となっているが、中身を読むと垂直統合モデルからオープン化への方向を求める内容になっている)。顧客が求める商品・サービスの提供が重要となっている現在、本書のようにユーザからの視点から論ずることは、iPhone、そして携帯電話ビジネスを語るに当たりより相応しいアプローチであろう。

 

日本でのiPhoneの可能性については、iPhone登場時に通信方式の相違だけを問題として指摘する浅薄な記事も見られたが、本書はそれにとどまらずに様々な障壁を挙げている。その他、日本では海外と異なりメーカーよりも通信事業者が強い、垂直統合モデルをとっている、日本メーカーは海外で弱い等、業界に多少でも詳しい人によく知られた内容も多く書かれており、内容的に物足りない部分がないとは言えないが、そうでない一般ユーザにも比較的分かりやすく携帯電話ビジネスのモデルが説明がされており、読んでおいてよい本に属すると思う。

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ものづくり寄席千秋楽・大喜利

本日、「ものづくり寄席」@丸の内の千秋楽(最終回)の大喜利ということで、パネルディスカッション(のようなもの)。パネリストは、藤本 隆宏、新宅純二郎(司会)、高橋伸夫、安田雪、天野倫文の各氏。テーマは、(A)アジアの中(あるいはグローバル環境の中)での日本企業の在り方、(B)人づくり、組織の問題、の2つ。

   

概要は次のとおり(ただし、ラフなものなので一部に誤りがある可能性)。例により、備忘録として。

   
 

(A)アジアの中(あるいはグローバル環境の中)での日本企業の在り方   

   

まず、天野氏がプレゼンテーション。以下、ポイント。    

   
        
  • ・この10年、世界主要国で日本のみがグローバル化で後退。      
  •       
  • ・日本企業のグローバル化は製造業が先導。業種別に海外事業活動のシェアを見ると、売上では、自動車が4割、電機が2割、化学が8%。しかし、利益では、自動車が5割、電機は1割に満たず、化学が17%。      
  •       
  • ・アーキテクチャで説明すると、日本とASEANはインテグラル・アーキテクチャ、米国と中国、韓国はモジュラー・アーキテクチャ。台湾はその両方に重なり、面白い存在。ベトナムへの投資(1位韓国、2位シンガポール、3位台湾、4位日本)の中でも、台湾企業は南部に集中投資しており、また非製造業にも進出。    
  •    
   

天野:日本企業は、現地生産において日本人社員を減らしてきた(それだけでなくローカルの人材を育てることが必要)が、それは同時に日本企業の本社から中間層が海外に勤務機会が減少。米国企業はローカル人材の開発を前から進めている。またトヨタは、海外生産でもラインは現地化(社長含む)、スタッフは本社(日本)からと分け、うまくいっている。   

   

藤本:「市場があれば現地に工場を作る」というのは古くないだろうか。実態はそれからずれてきており、「適材適所」(得意なものを得意なところでつくる)になっている。その典型が、タイ、台湾、トルコといった他国への輸出拠点になっている小国。

      

(B)人づくり

   

安田:「適材適所」になった場合、日本には何が残るのか。

   

藤本:「進化する工場」(=生産性の向上)しか、日本には残らない。正規工が何%残るかを意識すべき。例として、カイハラ(福山市)。

   

安田:転職市場がないと成果主義ができない。20-30代は動きがとれなくなっている。

   

高橋:成果主義は終っている。若者は「自分の市場価値を高める」といっているが、転職市場があり転職できることは強みではない。たとえば、プログラマは、転職できるが、一生プログラマでずっと同じ給料。会社にとっては互換性のある部品である。

   

安田:言いたいことは、ひとつには「ロスト・ジェネレーション」を起こさないようにしないといけないということ。もう一つは、上司が問題ということ。

   

高橋:バブルのころからおかしい。そのころは「これからは実力主義」と言われたが、それは大量の新卒者を入社させていたから。最近の金融機関なども1000人以上採用している。結局、計画性がなく、いきあたりばったり。自分の頭で考えていない。   

   

新宅:かつて日本企業から大量に米国のMBAに派遣していたが、いまや米国西海岸のS大では、MBAコース350人中、日本人はわずか2人のみ。   

   

 

   

【まとめ】 開かれたものづくりと21世紀の日本(藤本)

      

○ ものづくり論から考える企業像とリーダー像   

   

・ものづくりとは「設計情報をものにつくり込むこと」。設計は本来、社長の専管事項。が、忙しいので部下に移管する。従業員は社長になりかわってこれを行う。   

   

○ 物財もサービスも、原理原則は同じ。「良い流れ」をつくること。   

   

<1> あるべき姿   

   
        
  • 開かれたものづくりのコンセプト      
  •       
  • 統合型ものづくりの組織能力の構築      
  •       
  • すりあわせ型アーキテクチャの選択      
  •    
   

*この10年は「だってグローバル化だもん!」で全部通った。それで最後には単価にまで手をつけてしまった。しかし、生産性を上げていくこと、(カイハラのように)高い給料の正規工でもやっていけるようにすることが重要。   

   

<2> 避けるべきこと   

   
        
  • ものづくりを一過性の流行ととらえること      
  •       
  • ものづくりを「匠の世界」と狭くとらえること      
  •       
  • ものづくりを万能薬と安易に捉えること   
  •    
      

<3>やるべきこと(以下の7つを同時に)→ 開かれたものづくり現場へ 

   
        
  • ものづくりインストラクターの社内スクールを開講せよ      
  •       
  • 大企業は5日勤務か完全退職の二者択一以外の継続雇用オプションを提供せよ。      
  •       
  • グローバル企業は適材適所の海外展開を長期視点で熟考せよ。      
  •       
  • 中小企業は「良い流れ」をつくり、付加価値・生産性を高めるため外部人材を積極採用せよ。      
  •       
  • 政府は中小企業の「良い流れづくり」「人づくり」「インストラクター活用」を支援せよ。      
  •       
  • 地方自治体は地域におけるインストラクターの需給マッチング事業を強化せよ。      
  •       
  • 大学は文理統合のものづくくり技術経営教育を強化せよ。      
  •    
   

*インストラクターは50代、60代を活用。

   

上からわかるとおり、全体的に統一感がなく、各パネリストもそれぞれ自分たちの言いたいことを言っていて、必ずしも深い議論だったとはいえない(例えば、人づくりのところでの安田vs高橋は、議論の焦点がお互いややずれていたように思う)。しかし、元々「それぞれが勝手に言いたいことをいう」という趣旨のものであったし、それなりの内容もあったので、”寄席の大喜利”としては、良かったのではないだろうか。

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某対談

1か月ほど前に本ブログでアップした某講演(?)がきちんと対談の形で行われた。以下はその大雑把な(したがって正確性は保証しない)内容である。

   
   

グローバリゼーションが(国内の)格差を拡大しているとの見解があるが、もはや企業活動は国内で完結しなくなっており(逆に国際的な格差は縮まっている)、国内で再配分をするモティベーションはなくなっている。

      

日本では、かつては何が公共的なものかの線引きが自明であった(共通感覚があった)。その下で再配分が行われてきた。しかし、今やそれは自明でなくなり、失われた共通感覚をルールで埋め合わせようとしている。

   

日本では、かつて警察が関与しなかったようなところにまで警察が関与するようになってきている(国家の暴力の対応領域の拡大)。それに対応して、(それまで警察が利用してきた)ヤクザを排除するようになっている。

   

これは、米国も同じ。冷戦時代は、ソ連に対応するため、周辺国の非合法のゲリラ(例:コントラ、アルカイダ)を支援していたが、冷戦後不必要になって手を切ろうとした。

      

このような反近代的な「中間集団」があったとしても、ある種適合的になら擁護しても構わない、というのも近代主義の一種。

      

要は暴力のコントロール可能性。共同体的であろうが、制度的であろうが同じこと。しかし、最近は、これら中間集団をきれいにしようという特徴がある。

      

反近代的なものを国家が利用した歴史があるが、これを新自由主義的に断ち切ることを要求することは正当化してよいか、という問題がある。

      

理念よりは実態で判断すべきだろう。現在は、先の例でいえば、ゲリラの代わりに民間軍事企業によっている。セキュリティ産業も生まれている。

   

ルールでの埋め合わせだが、日本ではルール主義が実現したことがなく、ルールを求めると規律社会でなく管理社会になってしまう。日本ではフーコー主義的な生権力を擁護するしかない。    

   

最近の宗教的なものへの回帰をどう考えるか。ヨーロッパの近代主権国家では、国家と宗教が分離。しかし、アメリカはつねに例外的存在。主権国家が成立した欧州を逃れ信仰の自由を求めて新大陸にきた人々。そして、植民地(=領土)を持たず、経済システムで他国を支配し、覇権を握った(植民地は、領土と支配権の一致の思想に基づくものであり、主権国家的性格のあるものである)。このアメリカの派遣モデルが、脱植民地後のグローバリゼーションのモデルになっている。

   

アメリカでは、もともとpurisum(純粋主義)を志向する人々が集まってきたところ。宗教が細分化していった中でこれらの共生を図る(共和主義)ために政府が存在してきたと言える(市民宗教、アメリカ的な国家と宗教の二元論)。したがって、反領土的・反主権的であると同時に、理想に重きを置きがち。しかし、こうしたpurismを否定すると市民宗教も否定することになるし、その原理に基づいているようなグローバルなNPO活動も否定されることになる。したがって、アメリカのヘゲモニーで回るしかないところがある。

   

国家をなくせる可能性はない。この外へ出るようなラジカリズムはありえない。うまく管理するシステムを見つけるしかない。アメリカ的なものを前提としながらそれを改良していくしかない。

   

グローバル企業から見える風景が依然と違ってきた。かつては社会を温存するものが国家であった。今やグローバル企業からすれば、社会を温存する必要はないが、ルール違反を合法的に取り締まり、ルールを貫徹するために国家は存在してもらわないと困る。国家への要求がこれら企業と国内の下層の人々では異なるようになっている。

   

   功利主義の克服に向けて、ニューディール政策がすすめられたが、それが回り始めたときに、パーソンズは「社会化/内面化」という概念を打ち出した。(フーコー的な生権力によって)「社会化/内面化」が生み出す「内なる光」に従って個人が行動することによって社会に秩序が出来上がることになる。それは否定できないし、むしろ、それが円滑に動くようにソシャル・デザインをしていくべき(これは功利主義の延長線上にある)。

   

ホッブス的な暴力が暴力なくして実現できるようになった。暴力むき出しは良くないので、この点で規律訓練的なものをフーコーは頭から否定していない(フーコーが否定しているのは、規律権力的なものを使いながら自分たちの法の建前をかなぐり捨てていること)。その点で、パーソンズと近い。

   

コントロールしていこうという発想はアメリカルーツのものが多い。これを二元論的に是か非かをいうことに意味はなく、それを利用していくしかない。

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書評「訳せそうで訳せない日本語:きちんと伝わる英語表現」(小松達也著、ソフトバンク新書)

訳せそうで訳せない日本語 きちんと伝わる英語表現 (ソフトバンク新書 62) 訳せそうで訳せない日本語 きちんと伝わる英語表現 (ソフトバンク新書 62)

著者:小松 達也
販売元:ソフトバンククリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

英語を使う時に手元に必ず置いておきたい良書

 

私は日本人なので、英語を使う(書く、話す、和文を英訳する等)にも、どうしても日本語の感覚で考えているところがある。そうした時に、この日本語をどのような英語(単語、熟語)で表現したらよいのか、迷うことが多い。たとえば、「まとめる」、「本格的な」、「しかたがない」、「がんばる」・・・。特定の文脈でこれらにピタッとはまる英語というのはなかなかすぐには思いつかないものである。

 

そうした時に本書が役に立つ。本書は、50年間通訳業を続けてきた著者が、長年の経験の中で、こうした英語に訳すのに苦労した日本語(80語弱)の例を集めてまとめたものである。これらの日本語ひとつひとつについて、それに相当するいくつかの異なった英語の単語・熟語がすべてそれぞれの実際の用例付きで載っている。たとえば、「まとめる」であれば、to agree on, to compile, to complete, to draft, to finalize, to organize, to prepare, to put together, to work outが載っているが、これはまとめる対象によって使うべき動詞が異なってくるのである。どの場合に何を使うべきかについても書かれている。

 

仕事で英語を使うことがあるので、こうした本が前から欲しいと思っていた。もちろん和英辞典を使う手もあるが、かならずしもピタッとくる用例が載っているとは限らないし、どのような場合にどの語を使えばよいかも十分に書いていない。そうした意味で本書はすぐれものである。ここに載っている日本語だけで足りるというわけではないかもしれないが、英語を使う時には手元に置いておきたい本である(もちろん本書の内容をすべて覚えられればそれが最善だが・・・)。80語弱以外にコラム的に載っている「ワンポイント通訳」もおすすめである。

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「ものづくりをあきらめたアメリカ、マーケティングのできない日本」(ものづくり寄席)

昨夕のことだが、「ものづくり寄席」(@丸の内)にて上記タイトルの話を聞いた。話者(”師匠”)は阿部誠東京大学大学院経済学研究科教授。マーケティングの先生である。満席で、立ち見がでるほどの盛況であった。

 

話の概要は以下のとおり。

 

1 ものづくりをあきらめたアメリカ   

「アメリカンドリーム」とは最小のインプットで最大のアウトプットを合理的に賢く追及すること。(リターンの少ないことは自分でやらずに外注)。   

→ アメリカはものづくりができないのではなく、やりたくない(もちろん、十分なリターンがあればやる)。   

   

2 ものづくりブームの日本   

・「ものづくり」が製造業に限られている風潮に危惧。   

・日本には国際競争力のあるサービス業がほとんどない。コスト効率が悪い。   

3 製造業とサービス業の違い   

<モノの問題>   

・現場での対応策で解決、対応策を記した詳細なマニュアルを真面目にやる能力が重要、従業員は勝手に自分の判断で行動しない   

<ヒトの問題>   

・顧客によって異なる反応、問題の予期が難しい、原理原則・概念を示したガイドラインに基づいて従業員一人一人が創造力・自己裁量で対応、正解はひとつでない。 

   

○ サービス業で重要なこと   

・マニュアルなしで顧客を大前提とした対応が仕組みができているかどうか。

・「顧客本位」がますます重要に ~ マーケティングそのもの   

 

4 マーケティングのできない日本   

・「ものづくり」の拡張が必要   

(1)製造業を超えてサービス業へ、(2)現場生産を超えてマーケティングへ

   

5 マーケティングとは・・・   

「買い手売り手のインセンティブが一致するような仕組みを創造すること」

= 買いたいと思う商品を提供すること   

(参考) 営業・セールスとは、既存の商品・サービスを売ること

   

6 現在のマーケティング101

  (1) 顧客のマネジメント (2) ブランドのマネジメント   

6.1 顧客のマネジメント

~ 利益を生むのは商品でなく顧客。マーケティングは経営の要。顧客から長期的に収益を得ることが重要。   

○ カスタマー・エクイティ(顧客資産)のマネジメント

(1) 顧客ライフサイクルの管理   

(2) データベースの活用   

(3) 顧客価値の数値化   

(4) 顧客獲得・維持・追加販売の最適バランス   

 

6.2 ブランドのマネジメント   

○ 「ブランド」   

ア)顧客の頭の中に存在するもの(ブランド認知、ブランドイメージ)   

イ)顧客の行動に存在するもの(ロイヤルテイ、価格プレミアム、クチコミ)   

○ ブランド力の測定:よくつかわれるのはインカム・アプローチ   

○ インターブランド社によるランキング   

上位はほとんどアメリカ企業、ソニー<サムソン   

「日本は技術的蓄積があるから大丈夫」という人がいるが、ブランドは重要。簡単にはつくれないが、より多くのリターンが得られる(最小のインプットで最大のアウトプットを合理的に賢く追及するアメリカ企業が先行)。

○ ブランドの事例   

(1)ハーレー・ダビッドソン ~ 良い例   

(2)光岡自動車 ~ 悪い例

 

7 背景   

(1) カスタマー・エクイティのマネジメントの背景: 情報技術の利用可能性、コミュニケーション手段の低コスト化、洗練された統計モデルの開発、柔軟な実行システムの登場   

(2) プランドのマネジメントの背景: 供給過多、成熟した消費社会、消費者行動学・心理学の進展、インターネットの登場   

   

8 どちらのマネジメントが重要か? → 答:ビジネスによる   

(1) カスタマー・エクイティの向上に力を入れるべきビジネス   

= 顧客と直接取引する、顧客との長期的関係が重要、「個客」データが収集できる。 

→ 多くのサービス業やBtoBビジネス(例:金融、保険、通信、運送、医療、コンサルなど)

   

(2) ブランドの向上に力を入れるべきビジネス   

= 顧客との距離がある、第三者が仲介、「個客」データが入手困難

→ 多くの消費財ビジネス

 

要するに、日本企業に対する、「マーケティング」=「買い手売り手のインセンティブが一致するような仕組みを創造すること」=「カスタマーエクイテイ&ブランドのマネジメント」のすすめである。(厳密に考えると、「日本企業」「アメリカ企業」という言い方にはひっかかるのだが、まあ他に言いようもないので、そこは横に置いておこう)

 

もちろん、(冒頭に、阿部教授が断っていたとおり)厳密なデータに裏付けられた議論というよりは、「寄席」ということで、同教授が思っていることをラフに述べたものである。だから、ここで述べられた議論がすべて厳密に現実にあてはまるとは言えない(たとえば、自動車産業を見ればわかるとおり、アメリカ企業がみな日本企業よりも「顧客本位」であるとはいえない)。

 

しかし、阿部教授の議論は、日本企業とアメリカ企業の一面をうまく言い当てていると思う。例えば、日本の電機産業についていつも思うのは、生産者オリエンテッドで、本当に消費者が望んでいる機能を必ずしも提供しているとは言えないことである。ほとんどの消費者が必要としない機能を数多くつけ、頻繁にモデルチェンジをして、比較的高めの価格を設定した商品を売っている。日本の消費者は、比較的お金はもっているし、日本市場は(いろいろあって)日本企業がドミナントなので、日本市場ではこうした売り方である程度成功する。しかし、これが海外に行って全く成功しない。あるいは、iPodやiPhoneのような製品を生み出せない、ということになる。日本にはなぜか「製造業いのち」みたいな風潮が結構あるが、そういうことを言う人は何か世界全体が見えていないように思えてならない(そういったこともあって、『すごい製造業』なる本を評価しなかったのだが)。阿部教授の話は、そうした信仰から抜け出してよりリアリステックな方向性を示していると思った。

 

ついでながら、マーケティングの2つの要素でいえば、サービス業が特に弱い日本において、今後より必要なのは、カスタマー・エクイティ(顧客資産)のマネジメントのほうであるように思えた。もちろん、日本企業の多くは、この重要性にすでに気付いているかもしれない(そうした意味で、集まった人たちの中には物足りないと思ったひともいたかも)が、「データベースの活用」とか「顧客価値の数値化」とか、特に日本は弱そうな分野だなあ、と思う(余談だが、先日のNHKスペシャル「日本とアメリカ第3回 日本野球は“宝の山”~大リーグ経営革命の秘密~」は、あらゆるものをデータで分析するメジャーリーグの姿を描いており、日本とアメリカの彼我の差をはっきりあらわしたよい番組であった)。

 

結論として、演題から想像していた内容とはちょっとずれているような気はしたが、内容的には良かったと思う。ちなみに、ネットで探したら、阿部教授は、昨夕の講演と同名のタイトルで、SPSSのサイトに書いている。内容は若干違うが、こちらもおすすめ。

 

「ものづくり寄席」は、来週が大喜利。もう少し早く知っていればなあ。続編を期待。

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書評『IT産業崩壊の危機』(田中克己著)

IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり

著者:田中 克己
販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

日経コンピュータ誌等のコラムを再編集したものである。IT産業(ITベンダー会社やITサービス会社、ソフト開発会社等)の近年の「苦境」が説明されている。大手ベンター(NEC、富士通、日立等)をはじめとする業績の低迷、輸入製品・技術への依存、ソフトの不具合、過酷な労働実態、技術レベルの低下・・・、さらに政府からも見捨てられつつある・・・。

 

こうしたIT産業の現状を一般の読者に知らしめるという意味では本書に意義はある。 ただし、肯定的な評価ができるのはここまである。全体にわたる印象として、日本のIT業界についての目に見える現象をひととおり集めているが、既存の文章を集めたもので読みにくい上に、業界先にありきの発想で表面的な議論に終始しているだけで、問題の原因に対する十分な洞察が全く見られず、読んでいて強い苛立ちを覚えた。IT業界はこうした発想でこれまで様々に取り組んできたものの、結局のところ「苦境」を克服できてないではないか。

 

本書を読んでも分かるように、日本のIT企業は、資金、労働、技術といった資源を投入している割に利益が上げられていない。そして、価格競争の中で無理に利益を上げようとして、SEなどに無理な労働をさせている、そのために品質が確保できないし、人材も集まらない。余裕もないから、研究開発等への投資も十分に行われない。海外企業に比べても劣る。日本のIT産業の姿はそのように見える。

 

これは、端的にいえば、日本のIT企業は、海外企業に比べても、その事業に優位性がない上、市場に居座ろうとして様々な問題を惹起している、ということである(こうした状況になった大きなマクロ経済的背景としては日本経済を長年覆っているデフレの影響もあると思うが、それはここでは横に置いておく)。こうした利益が上がらない状況であれば、経営者(あるいは株主)としては、撤退や事業の売却等を考えるべきではないのだろうか。コスト面でも品質面でも優位にある外国企業に任せるべきではないのではないだろうか。そうすることが、過酷な労働を強いられるエンジニアにとっても、そして日本経済にとっても良いことなのではないのだろうか。少なくとも、そのような状況で明確な見通しが持てない現在、日本の人材、資金等をこれまで通り日本のIT産業に投入すべきというのは、企業にとっても日本経済にとっても良いことか、疑問に思って然るべき。

 

しかし、今のところ撤退等の戦略をとる日本のIT企業はそれほど表にあらわれてきていないように見える。そのような選択がなされてない原因としては、資本市場のガバナンスが効いていない、労働者の保護が遅れている、などが考えられる。それに加えて、確かな見通しがないにもかかわらず、(成長産業だ、基幹産業だとのイメージもあるのだろう)IT事業をなんとか成長させなければならない、という日本の業界の発想に凝り固まっていることも一因としてあるのではないか、と著者の文章を読んで感じるのである。

 

本書での著者の議論が致命的なのは、「日本のIT産業はなんとか発展させなればならない」という業界中心の発想からまったく抜け出ていないことだ。それが端的に表れているのが、『「国産ITを育てる施策が必要か、不要か」と単純に質問されれば、誰もが必要と答えるだろう』(p37)という文章である。しかし、そんなことはまったくない。筆者は不要派である。そもそも、なぜIT産業を海外企業に任せてはいけないのだろうか?なぜ輸入技術に頼ってはいけないのだろうか?これまでも国内IT産業の発展のため所管省庁が行ってきた施策により事態がどれだけ改善したのか?ユーザとしては国産でなくても全く困らないのではないか?およそ経済合理的な限り、そうしてはならない理由は見当たらないのではないか?

 

にもかかわらず、国産ITに固執するのは、経営者として合理的な思考の結論ではない。むしろ、かつての成功者としての面子へのこだわり、あるいは現在の職を失うことへの強い恐怖心によるのではないのかと想像される。環境が変化し、自分たちがこれまで食べてきた体制がそれに適応できなくなったにも関わらず、体制をなんとか維持しようとしてもがく姿に見える。だが、それは、例えば、農産物自由化をおそれる日本の農業団体の姿であり、1980年代に日本車に押されていたアメリカの自動車メーカーの姿と同じではないか、と思わないのだろうか(ちなみに日本の農業も、米国の自動車メーカはますます低迷の度を増してきたのは言うまでもない)。 どうやらIT企業も、これらと同じような発想で語られるようになったようだ。

 

このように、国産にこだわり、不採算なIT事業からの撤退をオプションとして考えていない姿勢は、マイナスの効果しか生み出さないのではないか。撤退しなければ、他の産業で有効に活用できる資源を、採算のとれない事業に投入する、あるいは、エンジニアに過酷な労働を強いる、日本経済全体からみれば、人材や資金、技術を有効に使えない、ということにしかならないのではないか。

 

本書の提言に目新しさはなく、これで明日が切り開けるとは思えない。著者と同じような業界中心の発想から、IT産業の発展のために、これまで様々な施策が業界を所管する省庁によって講じられてきた。採算性の悪い産業に対して、成功するかどうか分からない新事業等に公的な支援が与えられてきた、しかし、これまでの経験からいえば、これらの政策によって、事態がいったいこれまでどれだけ自体が改善しただろうか。これまで問題の解決になってこなかった現実を著者はどう見るのだろうか。

 

利益の上がる事業をやらないとだめだというのは当然である。あまりに当然過ぎてあえて言う必要性がないことだ。問題はどの事業が利益があがるかということであるが、それが予めわかれば苦労はしない。少なくとも結果を見れば日本のIT企業の経営者たちの決断は正しいものとはいいがたいが、それでもそこは経営者の才覚に任せる話であって、政府の施策で対応するのは筋違いである。本書には、そうした点への配慮は見らず、安直に政府の施策を含めた弥繕策を述べているだけである。

 

結局、IT企業に対しては、付加価値を上げる、付加価値があげられない事業は行わない、ということに尽きる。どの事業に投資するかは各企業の判断である。適切な判断ができない企業には撤退してもらう、ということである。著者は「IT産業は見捨てられた」と嘆いている。「見捨てる」「見捨てない」という特定の価値観に偏った言葉で表現するのは不適切極まりないが、IT産業を突き放す態度こそ日本経済全体にとっても最も適切である。

 

いま求められているのは、著者のように「一国の業界の在り方をどうするか」と内向きの発想で物事を考えることではないはずだ。重要なのは、本書の論ずるように国産ITを育成して業界の発展を図ることではなく、個々の企業が自らの判断で経済合理性に従い柔軟に対応することではないかと思うのだが、どうだろうか。

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「液晶産業のアーキテクチャと企業戦略」(ものづくり寄席)

最近、『ものづくり寄席』というのを知って、今日初めて聞きに行ってきた。上のタイトルが本日の演目。「師匠」(講師)は、朴英元氏(日本学術振興会外国人特別研究員)。備忘録代わりだが、その概要(一部省略されている)は以下のとおり。

 

- 液晶産業の現状:現在のシェアは日本が減少、韓国、台湾が上昇。トップは、SAMSUNG,次がLPL、以下台湾系が続く。 

- これまでの経緯 

  • 90年代初めに日本企業がノートPC用に事業化。90年代半ばにSAMSUNGが参入。90年代後半に台湾がノートPC事業立ち上げ、多くの日本企業が撤退。
  •    
  • 第3世代(3G)~第3.5世代(3.5G)まではシャープが先行投資。その後、SAMSUNGが先行投資。最近は、シャープとSAMSUNGが先行争い。
  •    
  • 3~3.5Gあたりまでは日本企業から台湾に技術移転。5~6Gになると韓国企業から台湾に技術移転。 

-企業戦略   

  • 「大型化と標準化戦略」:2006年以降の大型化で、シャープとSAMSUNGが投資競争、高付加価値の製品で欧米市場狙い。台湾メーカは2番手戦略でBRICS市場狙い。
  •    
  • 「大型化とクラスター戦略」:部材もまとめて1か所で生産する戦略へ。
  •    
  • 「垂直統合か水平分業か(1)」:韓国・台湾企業は内製化率を高めようとしている。1次部材(ガラス基盤等)の比率は高いが、2次部材(PET、フィルム等)では低く、日本部材メーカ企業の比率が高い。実際、日本部材メーカのシェアは、ほとんどの部材で50%以上。他方、モジュール化の進んだ部分での日本メーカのシェアは低い。
  •    
  • 「垂直統合か水平分業か(2)」:パネルと川上部材との統合(メーカは、提携や垂直統合により関係強化)。パネルと川下製品との統合(SAMSUNG,LPL、SHARPはTV組み立てまで統合、他方、台湾パネルメーカは水平分業(例として台湾系のVIZIOが米国で1位に)) 

- パネルメーカの今後の論点(パネル技術とパラダイム変化の可能性、大型化と超薄型化の同時追及) 

- LCD産業のアーキテクチャ   

  • 製造装置の売り上げシェアでは、日本企業が大半をしめる。日本企業から台湾への技術移転(既述)は、装置自体が日本から台湾に輸出された。
  •    
  • 「製品アーキテクチャ」と「工程アーキテクチャ」
  •    
  • 製品アーキテクチャ:モジュール化した部分もあるが、一方でパネルを作るために必要な部品は相互依存性が高く(インテグラルな要素がある)、パネルメーカによる擦り合わせが必要。
  •    
  • 工程アーキテクチャ:やはり相互依存性が高い工程があり(例:TFTアレイ)、装置メーカによる工程間の擦り合わせが必要。ここも日本のメーカが競争力を持っている。 

- まとめ   

  • 国際分業構造:川上(部材、設備メーカ)は日本、パネルは日本・韓国・台湾、川下(TVメーカ)は日本、韓国 

以上が講演。以下質疑。

Q:2次部材における韓国・台湾のキャッチアップの可能性? 

A:内製化の可能性は低い。パラダイムシフトがあれば別だが。

Q:韓国・台湾も政府が支援するなど力を入れているが、8割方追い付く可能性もないのか? 

A:可能性はないとはいえないが、それよりSAMSUNGのような大企業が日本の部材メーカを買収する可能性の方がある。 

Q:企業戦略上の日韓と台湾の市場棲み分けについては、VIZIOの例もあり維持できない可能性もあるのか? 

A:棲み分けは2006年までの投資戦略に基づく。今後変化の可能性あり。 

Q:大型化が進むと少数の企業によって市場が構成されることになるのか? 

A:50インチ以上ではその可能性あり。 

Q:中国はキープレーヤにならないのはなぜか? 

A:難しい質問だが、技術力がない。中国が強いのは安い労働力による組み立て。

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橋下知事反省の弁

本日のアサヒコムに『「橋下節」修正連発 府庁批判影潜める 初の定例会見』と題する記事が出ていた。読んでみて「感動」を覚えずにはいられない。

 
   

「現場を見ずに頭で考えていた。自分の教育論は『机上の空論』だったと反省している」

   

会見の冒頭、橋下知事が反省の弁を述べた。この日、初めて公立学校を視察、その「成果」を強調したのだ。

   

選挙中から「高校の学区撤廃」「学力別クラス編成」を提唱し、学力上位層の競争力を強化する教育改革に意欲を示してきた。9日には府の独自施策である公立小学校1、2年生の35人学級制について「効果に疑問がある」として府教委に見直しの検討を指示した。

   

13日に視察した柱本小では、子どもの理解の度合いに応じてクラスを半数ずつ2カ所の教室に分け、少人数で指導する様子を見守った。橋下知事は「40人、50人でも授業は可能と思っていた。現場を見て、少人数で手取り足取り教えることも必要だとわかった」。

   

その後の会見では、「ただちに持論が変わったわけではない」と語りつつ、「あまりの世間知らずに恥ずかしさを感じました」と反省。府教委などと議論を重ねていく考えを示した。方針変更の可能性についても「独裁者じゃありませんし。結論が妥当ならそういう政策になる」と話した。

 

自分の公約を机上の空論だったとこうも簡単に言い切れるとは。選挙中の公約とはいったいなんだったのだろうか。

 
   

当選後、「原則認めない」と表明している府債も実態は発行する方向だ。橋下知事は会見で「原則は発行ゼロ」と譲らなかったが、08年度当初予算案で約160億円を計上することが明らかになっている。先月30日には、後年度に地方交付税で補われる府債について「僕の知識不足でした」と容認している。

 

府債に対する知識がないのに知事になれるとは。すごいことである

 
   

ただ、どこまで本気で府債発行ゼロを目指しているかは不透明だ。会見でも「必要なものだけ府債は認めますなんて言ったら、職員からどんどん必要性の議論が出てきて、1週間で暫定予算なんて組めるわけがない」と説明。「原則ゼロという号令は組織マネジメントとして必要。収入の範囲で予算を組むという目標達成のための指揮のやり方」と解説した。

   

「計算していなければ、単なる馬鹿でしょう」。会見で橋下知事が語気を強めたのは、議論を巻き起こすことを計算したうえで発言しているのかと問われた時だった。自らの発言で「おおいに世間で議論してもらいたい」というのが橋下知事の立場のようだ。

 

ああ、そうだったのですか。すべて計算されていた発言だったのですね(笑)。御見逸れしました。

 
   

だが、威勢のいい「橋下節」はトーンダウンしたものも多い。1月の公開討論会で「僕が立候補した最大の理由」と言い切った情報公開の徹底は、府側との予算折衝や議会との意見交換を冒頭部分しか公開せず、「初めからの公開では改革は進まない」と後退した。

   

赤字隠しが発覚した際は「職員性悪説」と府庁をやり玉に挙げたが、この日の会見では職員をねぎらい、暫定予算を編成した財政課への賛辞を繰り返した。

   

橋下知事が初当選した際、戦々恐々だった府幹部は胸をなで下ろす。「表で無理なことをぶち上げても、裏では落とし所を考えてくれている。仕えやすい上司や」

 

そうでしょう、そうでしょう。さすが「弁護士」ですね。

 

あまりの機会主義的、御都合主義的な発言にあいた口が塞がらない。ただ、こうもあっさり自分が間違っていることを認めるというのも、なかなかできないことではある(もっとも選挙時の公約自体が何にも考えていない無謀なものであったせいでもある)。

 

役所がやっていることは(もちろん変なものも多いけれども)リーズナブルなものが多い。それを理解して支持してくれるのであれば、府の職員もやりやすい。あとは、様々な抵抗が多い政策をどう進めていくのか、長期的な課題に取り組めるのか、といった点が課題だろう。ひとまず、今後の動静をウォッチ。

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書評:「昭和天皇」(原武史著、岩波新書)

昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111) 昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111)

著者:原 武史
販売元:岩波書店
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本書は、「お濠の内側」で行われる宮中祭祀の観点を中心に、昭和天皇像を描き出そうとするものである。

 

そこに主に示されるのは、一時期のブレはあるとはいえ、戦前・戦中・戦後を通じて、(著者によれば「創られた伝統」にすぎない)宮中祭祀に重きを置き、皇祖神に祈ってきた昭和天皇の姿である。それは、単に、真面目さとして片づけられるものではなく、東宮御学問所における杉浦重剛らによる教育の影響とともに、(神がかり的で「神罰」を恐れるで)実母である皇太后(貞明皇后)との間の(確執ともいえる)関係にとらわれたことの影響があったことが示される。そして、太平洋戦争中は勝利を神に祈り、終結においても「三種の神器」を守ることを第一とし、戦後も、先の戦争に関して平和の神である伊勢神宮に戦勝を祈願したことの過ちについては謝罪した、そのことが戦後も宮中祭祀にこだわった理由の一つであった、と昭和天皇の行動を皇祖神への姿勢との関わりから説明している。

 

私は政治・外交(=お濠の外側)の視点ばかりから昭和史の本を読んできたが、そこに示される立憲君主としての昭和天皇とは違った姿が示されていて、一気に読んだ。専門家等にとっては物足りない部分があるかもしれないが、一般の読者にとって大変興味深く読める本であると思う。本書は、昭和天皇の行動すべてを宮中祭祀で説明できるといっているわけではなく、昭和天皇の一面に光を当てるものにすぎない。決して馬鹿馬鹿しい内容ではなく、昭和天皇の発言などの史料に基づいたものである。もちろん、本書の内容は著者個人の解釈を免れるものではないが、そもそも利用できる史料が限られている以上、やむを得ないであろう。

 

ただ、若干の違和感も残る。著者は、昭和天皇の、戦中だけでなく戦後の発言について、神が第一で国民は二の次であった旨のフレーズを何度か繰り返し、最後に、日本国憲法の理念と矛盾する宮中祭祀を続ける今上天皇に触れ、「昭和は終わっていない」と言って本書を終えている。しかし、本書から受ける昭和天皇の姿は、置かれた環境に大きく影響された一人の個人の姿である。天皇が代わり平成になり20年が過ぎる今、著者の言うように「昭和は終わっていない」という問いはどこまで有効なのだろうか。

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書評:「こんなに使える経済学-肥満から出世まで」(大竹文雄編)

こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書 701) こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書 701)

販売元:筑摩書房
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「経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えることだ」(p17)

      

「そのような仕組みを考える上で一番有効な方法が経済学的な思考方法なのである」(p12)。

   

「経済学を学ぶときに最も重要なことは、人は幸福になろうというインセンティブをもって行動していることを理解することである。そのような人々のインセンティブを無視して制度や組織を作ると失敗するということである。命令したり、規制さえすれば必ずそのとおりに人々が行動するという前提で制度を作ると、うまくいかない。最悪の場合は、規制の意図とはまったく逆のことが発生してしまう」(p11)

  経済学の本質は、個々人のインセンティブにより経済現象、社会現象をとらえるようとすることにある。しかし、今の日本では、残念ながら経済学は役に立たないと思いこんでいる人々は相変わらず少なからずいるし、実際に経済学の知見を使って制度設計が行われる例もまだ少ない。 

これに対して、本書は、狭い意味での経済問題にとどまらず広く身近な社会経済に関する27の事例について、個人のインセンティブ(プラス情報の非対称性やいわゆる行動経済学の成果等)を使って説明できることを示すことによって、経済学が有用であるを示した好著である。近年、同じような趣旨の本もいくつか出版されているので、その点で本書が画期的であるとは言えないが、現在の日本において身近に実感できる経済社会現象を多数取り上げており、経済学の有用性に理解が不足していた人々ばかりでなく、経済学に通じた読者にも馴染みやすく、かつ十分楽しめるものになっている。

 

内容については、別のところで発表済のものも多く、既に経済学に通じている人々にとって目新しいものばかりではないが、それでも刺激的なものが多い。人によって興味が起きるパートは異なるだろうが、個人的には、例えば、なぜ一部の人だけが肥満となるか、なぜある人たちは喫煙等に中毒になるのかといった健康問題のほか、教育の義務化が長期的な人口増加から人口減少への転換(少子化)の背景にあること、人々の生まれ月は制度に適用しようとする親たちのインセンティブによって影響されていること、日米を比較すると、日本人の方が公共財の提供において「いじわる」であり、相続においても「利己的」であることなど、意表を突いた議論が楽しめる。

 

納得するには説明が不十分と思える箇所も少なからずあった(元は週刊エコノミスト誌の連載であり各事例6ページしか紙幅がない)ので、個人的にはもう少し詳しい内容を知るための参考URLや文献リスト等も欲しいところであったが、本書の目的は「経済学への招待」であり、それは無いものねだりなのであろう。

 

一つだけ難点をいうと、各執筆者がそれぞれのテーマについて書いた短い文章の間を関連つけずに掲載しているため、内容的に連続感が欠けているため、本を一気に読む際に少々読み辛くなっていることであるた。週刊誌の連載を集めたものであり、各執筆者が別々のテーマに取り組んでいるので、やむを得ないとの事情は理解できるが、一般の人に経済学に興味をもってもらうための新書としてまとめるのであれば、材料は良いのだから、もう少し各パートの連続性をもたせて読みやすく工夫があっても良かったのではないかと思う。本書の読者は、まず自分の興味のあるテーマのところを拾い読みしてもよいだろう。

 

いずれにせよ、編者の大竹先生が本書で繰り返しているとおり、政策立案や制度設計において人々のインセンティブを無視してはいけないという点は重要である。今の日本ではこれを無視した制度設計が依然として多い。その現状に対して、経済学から一石を投じ、より良い社会作りが行われるように人々を啓蒙すること、これが本書の隠れた狙いなのだと勝手ながら想像している。

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日経「迷走ニッポン」(上中下)を読む

新聞を整理していたら、先週初めごろの日経新聞朝刊一面左上の特集欄で、「迷走ニッポン」という記事を見つけた。3日続けての連載で、それぞれ別の日経の編集委員が記事を書いている。3人の編集委員の間の良しあしがはっきり現われたのだが、酷い方は本当に酷いと改めて感じ入った。

 

初日(上)は、滝田洋一編集委員。ダボス会議の話題から入り、このところの株式市場の下落において、日本の株式が非常に売られたのは、日本に失望した外国勢が逃げ出したこと、経済全体が「上げ潮」にないこと、しかし、規制緩和のピッチは落ち、企業防衛を優先する空気が経営者に広がっている、この中で、経済開国、それと合わせた国内の構造改革という成長戦略が必要であることを淡々と語っている。内容的に、個々の点では文句をつけたいところがあるのだが、基本的に事実や他の人の発言を引用していることもあって、まあ何とか落ち着いて読める文章である。

 

しかし、このあとが酷い。二日目のA編集委員は、日本の企業の今後の将来について書いているのだが、「重要なのは次の成長に向けてイノベーション力を磨くことだ」と上の方から見下ろすようなお言葉。イノベーションが大事ということくらい、日本企業の経営者だって馬鹿じゃないので知っていると思うのだが。問題はその先ではないのか。だいたい、「イノベーション力」って何よ、と問いたくなる。

 

さらに進むと、

 
   

「成長の余地が大きいのはむしろサービス分野かもしれない。・・・こうした分野が製造業並みにグローバル化すれば、日本の産業構造はより多様化し、強じんになる。一朝一夕に実現する話ではないが、志のある経営者の登場に期待したい」

 

だと。結局「志」の問題に帰着させるつもりなのだろうか。志のいない人間がいなかったら、それっきりになるしかないだろう。「志のある経営者に期待したい」など、学生の書く小論文ならいざしらず、いくら何でも天下の日経新聞の編集委員が書く文章ではないと思うのだが。

 

最後は、

 
   

「経営者にとって、今の局面で必要なのは英語でコーシャス・オプティミズム(用心深い楽観主義)」の心構えだろう。その上で、成長へのビジョンを打ち出し、逆風を克服してほしい」

 

と結んでいる。企業経営に携わっていない新聞の編集委員に、「心構えをもて」「成長へのビジョンを打ち出せ」と言われて素直にうなずいてそうする経営者がいるのだろうか。野球のファンが贔屓の球団の選手や監督にあれやこれや文句付けるのと似て、部外者が勝手なことを言っている、という風にしか見えない。

 

三日目のB編集委員は政治を中心に書いている。経済成長に向けて政治の取り組みが必要だという結論自体には同意するけれども、その発想には首をひねる所が多々見られる。例えば、経済財政諮問会議が地方の格差を拡大したという自民党議員からの発言を紹介しつつ、

 
   

「(経済財政)諮問会議悪玉論に欠けているのは、日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまうという危機意識だ。意識欠如は格差是正や国民生活第一の名のもとに、ばらまき復活を勢いづける。」

 

これも結局、政治家の「意識」に問題を帰着させてしまっている。しかし、こうした格差が拡大したという不満は、実際に一部の国民の間に存在するのだから、それを反映した声が国会議員を通じて出ること自体、別に不思議ではないだろう。逆に、「日本は構造改革を永続させないと衰退国になってしまう」と、さも決まった真理のようにいうが、それは一体どこで正しいと決まった命題なのだろうか。格差問題についてはどう対処すべきだというのだろうか。だいたいよく日経が連呼する「構造改革」とは、(どこぞの元首相と一緒で)何が構造改革なのか、まったくハッキリしないイメージだけの用語である。具体的に政府が何をすべきなのかを論じず、あやふやで具体性のないイメージだけで気に入らない意見をいう相手を批判するのであれば、B編集委員のいう「国民不在の政争、駆け引き」を行う国会議員と同じだろう。

 

最後は、

 
   

「わたしたち現世代の未来世代へ馳せる思いが政治の貧困を打ち破る」

 

で結ばれているが、この文章って何?と思わないだろうか。これって、「予測」か、「希望」か、それとも「歴史的な経験則」なのか。「わたしたち現世代」は「未来世代への馳せる思い」を持っているのか(本当か?)、それとも「わたしたち現世代」はこうした思いをもたなければいけないのか(一般国民を上から見下ろす目線だ)。「政治の貧困を打ち破る」っていったいどういうこと? いままでもずっと政治の貧困はあったと思うが、ほとんど何も変わっていないように思うが。それはわたしたちが未来世代へ馳せる思いをもっていなかったということだろうか。普通に読むと、何をいいたいのだか分からない不可解な文章であるし、悪く読むと、一般国民に向かってこうした意識を持てと言っている、まるで戦時中の新聞のような文章であるが、こうしたことを平気で紙面に書けるというのはすごい。思わず苦笑してしまった。

 

こうみると、滝田編集委員はともかく、A編集委員も、B編集委員も、具体性をもった代替案を述べずに、一方的に「○○は正しい」と決め付け、解決策を人々の「意識」「思い」「志」の問題に帰着させていることが分かる。上から「こんな意識を持て」「あんな志をもてほしい」という姿勢だ。しかし、こうしたことを新聞の編集委員に高みから言われて説得される人など普通いないと思うのが常識的であろう。自分たち新聞記者はこの程度のレベルのことしか書けないという自覚は、編集委員の方々にはないのだろう、やはり。

 

##日経を読んでいるとよくこのような思いに駆られる。でも、それで、いちいちこんなことを書いているとキリがない。今日も、こんなことを書いて時間の無駄だったという気がしてきた。

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書評:「すごい製造業」(中沢孝夫著、朝日新書)

すごい製造業 日本型競争力は不滅 (朝日新書 92) すごい製造業 日本型競争力は不滅 (朝日新書 92)

著者:中沢 孝夫
販売元:朝日新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

[追記] 本書については、その後改めて書評を書きました(2008/3/7) → こちら

最近、本屋で何冊か本を買った時に目にとまったので衝動買いした本。だが、読み進めるなり、頭を抱えてしまった。 

筆者は、本書において、日本の製造業(特に中小企業)の現場の具体的な取り組み事例を多く取り上げ、日本のものづくりにおいて「優れた現場」が無数にあることを示し、それが増える限り我が国は心配ない、と主張している。 

個別事例を取り上げて論ずるのはよい。実際、日本の製造業のにおいて優れた現場があることに異論はない。しかし、そういった個別事象をいくつか見ただけで、そこからいきなり日本の製造業一般、さらには日本経済全般についての語ろうとしている筆者の書き方に対しては、牽強付会と言わざるを得ないし、少なくとも読者に対して説得力がないだろう。大体、日本の製造業の強さはこれまでも多くの人々によって論じられているが、にもかかわらず「失われた10年」は起き、日本経済は低迷し続けているのである。 

全体として、個別事例が書かれているほかは、論拠が十分に示されておらず、著者の「信念」の語りばかりが目につく本であった。もっとも、製造業の中小企業で働いている、あるいは働こうとしている人たちにとっては、大いに励みになる本かもしれないが。

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書評:「NTTの自縛」(宗像誠之著)

                              
NTTの自縛 知られざるNGN構想の裏側NTTの自縛 知られざるNGN構想の裏側         

著者:宗像 誠之          
販売元:日経BP社            
Amazon.co.jpで詳細を確認する

      
 

昨日、書店の店頭でたまたま見つけて買ったのだが、かつて電話をオペレートする公社だったNTTという組織の宿痾を明らかにした非常に興味深い本である。本書の要旨は次のとおりである。 

 
       
  • 昨年5月にNTT東日本のフレッツ網で起こった大規模なネットワーク障害が起こった。この障害について、同社は「ルーターのソフトウェアのバグ」が原因であるとするが、本質的な問題は別のところある。それは、NTTの技術陣の組織体系が、IPの時代である現在になっても、依然として電電公社時代に培われた電話の時代の価値観(電話的価値観)によって縛られていることである。つまり、今もこの電話的価値観を行動規範としている「施設屋」と呼ばれるグループ -- 電電公社時代から設備投資のための巨額の予算と技術系の人事権を握っている、純粋の意味で技術者といえない人脈に連なる人々 -- がNTTの技術陣を公社時代から変わらず牛耳っており、収益を生み出すはずの事業開発、サービス開発に携わる技術者は傍流に追いやられている。IP技術を理解しない「設備屋」が占める幹部陣は、NGN構築ばかりに目がいって、フレッツ網の改変に必要な予算をつけなかった、このことが昨年の障害が起きたことの原因の一つになっているのである。    
  •    
  • このような設備屋が技術陣の実権を握る組織体制が、(IP技術である!)NGNを主導しているが、ここにも大きな問題がある。NGNは世界の通信事業者が構築しようとしているが、持ち株会社主導でをあげて大々的に取り組むNTTのNGNは、和田社長(当時)が当初画期的な新しいネットワークだと強調してきたものの、商用サービスを前にふたを開けてみると、現行フレッツ網の後継にすぎず、中身はからっぽに近いものであることが明らかになった。高機能なインフラを作れば使われる、という電話時代からの感覚がNTTに残り、ユーザの利便性を無視しており、自社の都合ばかりが色濃く反映されているのである。    
  •    
  • そうしたNTTが守ろうとしているものは、株主でもユーザでもなく、自分たちの組織体制であり、これは、電話が独占であった電電公社時代から連綿と受け継がれてきたものだ。NTTがしばしば打ち上げる大きなビジョンや構想も、組織に一体感を出すというNTTの都合によるものであり、実を結んだものは少ない。    
  •    
  • NGNもそのひとつであって、NTTにとって交換機に置き換わる新しいIPネットワークや光ファイバが必要ということのほか、グループをまとめるために利用する意図があった、と社内で公然とささやかれている。NGNはこのような自社の都合で考えた構想であるため、中身がないまま進められた。結局、現行の設計には電話が重視されすぎている等の問題があり、このまま予定通りのスケジュールでNGNをスタートさせるとトラブルが起こる可能性が高い、という声がNTT内部(特に現場)で多く聞かれる、という。しかし、持ち株会社は、「サービスを公約通り開始することが大事」と内輪の都合で進めており、サービスを遅らせる気配はない。    
  •    
  • 経営的にもNTTには厳しさが増している現在、電話的価値観・内向きの姿勢からの脱却し、自ら改革しようとすることが重要ではないか。
   

本書に書かれている事柄は、NTTという会社とつきあい、あるいはNTTをウォッチしてきた人々にはよく理解できるものではないだろうか。NTTの独占的体質がしばしば問題となるが、現行体制維持を優先する官僚的行動原理にこそ、その源泉があるのではないかと思う。そうしたNTT内部の姿を中心に描いており、非常に面白かった。

   

NTTを扱った近年の本に町田徹『巨大独占』があるが、町田本が市場や政府との関係など外部との関わりを中心に書かれていたのに比べ、本書は、NTT内部の組織の論理、そしてそれが生み出す問題を明らかにしており、より構造的な問題に触れている。こういった組織内の問題ははっきりと見えるものではないため、著者の解釈に委ねられている記述は多くならざるをえないし、また書けなかった部分も多いと思うが、それでもNTTは特殊法人であり人々の生活や企業活動等に大きな影響を与えている企業だけに、この問題を広く一般の読者に明らかにした点は大きな意義がある。

   

しかし、このような相変わらずの体制が民営化後20年以上経た今でも継続しているというのは、それだけNTTという会社の経営が何はともあれ安泰であったことの証拠である。市場では競争が進み、ライバルが力をつけたのは間違いないものの、それでも市場でのNTTのプレゼンスは今でも圧倒的である。それが変わらない現状で、本書が言う自己変革はなかなか期待できないと考えざるを得ない。まさに改革が促されるよう一石を投ずるため、本書は書かれたのではないか、とも思われる。いずれにせよ、2010年の組織見直しを2年後に控えた今、その論議を進めるのにふさわしい書であることは間違いないと思う。

   

なお、本書は、『知られざる通信戦争』等、一連の日経コミュニケーション編の通信市場のドキュメント本に続くものと思われるが、これまでのものとは異なり、宗像氏の単著となっている(日経コミュニケーションは監修という立場)。

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某講演(?)

某所某日、本来の意図とは違って、急に講演することになってしまった某氏による、その講演の概要。

 

・グローバリゼーションを単なるヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えたものと捉えるだけでなく、誰がヘゲモニーをとるかという視点で見ないといけない。

 

・1970年代、80年代に日本製品が世界を席巻し、アメリカが製造業から撤退。これに対応して、アメリカによるグローバリゼーションが登場。これは、(1)ルールやシステムを変える(例として、国際会計基準、日米構造協議)、(2)株式等によって自ら生産に携わらなくても生産をコントロールすることができる、というもの。

 

・このようにみると、グローバリゼーションをナショナリズムと対比することは適当でない。国家の暴力の対象は、かつての「帝国主義」の時代は土地という具体的なものだったが、今(「帝国」の時代)やルール、システムという抽象的なものになっている。(これについて、理論的な観点から、ドゥールーズ=ガタリの「平滑空間」と「条理空間」の概念による説明あり)。

以上

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