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大阪府知事に橋下徹弁護士が当選

私は大阪府民ではないので、有権者の選択の結果について云々するつもりはない。

 

しかし、もともと政治の経験が全くないこと、出馬について当初200%ないと明言していたのを翻して出馬したことを含め、これまでの発言や行動には様々な疑問が呈せられていること、出馬に対しては冷ややかな声が強かったこと・・・このような人が首都に次ぐ第二の経済圏の中心の都道府県の知事としてこの人が決まってしまう、ということに、正直嘆息せざるをえない。

 

もちろん、今後、橋下氏が知事として素晴らしい業績を残すことだってあるかもしれない。でも、それは誰が当選しても同じことがいえる。また、対抗馬の熊谷氏等に当選してほしかった、ということでもない。私が問題にしたいのは、この人にすれば政治が良くなるという、政治における能力を大多数の選挙民が判断して投票しているのでは全くなく、単にテレビ等で見てよく知っている、親近感がある、というだけで投票しているだろうことである。そして、政党も、そうしたことを見込んで、そうした能力的に「?」のつく人でも出馬させている、ということである。

 

確かに、こうした意味でのタレント候補は昔からいる。その意味で、昔から同じといえば同じだが、個人的な感覚では最近ますますひどくなっている様に思う。大阪は横山ノックに懲りていないのか。もちろん、対抗馬が政治的能力という意味で信頼に足る候補だったのか、という問題もあるが。

 

もう少し、国政なり都道府県知事なりの選挙に出ようという人には、政治家としての研鑽を積ませるような仕組みにはできないものか、それを有権者が時間をかけて吟味するような形にできないものか、とも思うが、こう嘆いてもある意味仕方がないという虚しさも一方で感じる。そのような、テレビで顔を売った人が安易に当選できるということ、それは人々にとって政治(大政治のこと)が自分たちから遠いものとなっている証左であろう。もともと、戦後日本が進みにつれて一般市民と政治の距離が離れているように思うが、特に、近年は、政党と個人を結びつけてきた様々な「仕組み」(それは様々な業界団体であったり労働組合であったりするわけだが)が融解しており、政治とのつながりがほとんどテレビだけになっているわけである。

 

しかし、多くの人々は、テレビでの政治家の議論と、自分たちの生活その他関心がうまく結びつけられていない。毎日毎日のニュースに、刹那的に、条件反射的に、反応しているだけである。選挙民に、結びつける努力が見られないこともある。いつも、何か、幸運が空から降ってくるのを待っているようである。また、結びつける能力も持ち合わせていない、そうした訓練を受けていないこともある。テレビから得られる候補者への親近感が物を言うのである。同時に、政党の方も、そうした状況に対応して、コストと時間をかけて政治家を育成するよりは、安易な候補を立てるというわけである。スパイラルである。

 

こうしたことが繰り返されるのも、みんななんとか暮せている、という安心感がいまだに大半の人の心のどこかにあるからのような気もする。こうして国はむしばまれていくのだろうか。

 

・・・てな愚にもつかぬことを、大阪府知事選の結果を聞きながら、思った次第。

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