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産業の語り方

この文章をたまたま目にした。製造業における「ipodモデル」と「亀山モデル」の対比は言いたいことは分かる。しかし、どうしても気になってしまったのは、

 
   

これまでのエントリでは、iPod問題といっても、「Walkmanを最初に作った国が何故、iPodを最初に事業化できなかったのか、」という視点を中心に据えて議論してきました。これに対して、今回ご紹介したのは、「我が国は何故、垂直統合モデルに強くこだわり続けるのか。iPodのようなオープンなビジネスモデルは成立し得ないのか。」。もっと単純に言えば、「今後我が国企業が追求すべきは、亀山モデルか、iPodモデルか、いずれなのだろうか。」という論点です。

 

のところである。筆者の村上氏は明らかに、「日本」(あるいは日本企業)というカテゴリーを前提において論を進めている。いかにもMETIの人らしい。

 

しかし、どのモデルを採用するかは、個々の企業が判断すべき問題である。それなのに何故、「今後我が国企業が追求すべきは、亀山モデルか、iPodモデルか、いずれなのだろうか。」と言い得るのだろうか?

 

ここで言いたいのは次の2点である。第一は、当の製造業にいない人間、ステークホルダーでない人間(村上氏がどこかの企業の株主だったらごめんなさい)、当該製造業について不十分な情報しか持ち合わせないはずの霞が関の人間が、なぜ「べき論」を展開しうるのか、ということだ。

 

第二は、どのモデルを採用するかは、どの企業にも通じる話である。それなのに、なぜ日本企業に限って話をしているのか、ということである(Walkmanを最初に作ったのはソニーという企業であり、日本国ではないはずである)。いわんや、なぜ日本企業一般、あるいは日本という国の話にまでしようとするのか。(もちろん、制度的補完性などがあり、日本にある企業共通の課題がありうる可能性があることは否定はしないが、それはここでは読み取れない)。さらに、根本的なことをいえば、「我が国企業」って何?、ということである。

 

こういった類の語り方は実はマスコミの記事でもネットでもよく見かけるものだ。だが、こういった無意識に出てしまう安易な語り口は、一体何を生むだろうか。当事者たる企業に余計なノイズを生み、過剰な政府の介入を招いているのではないだろうか。

 

現状を分析するのはよいだろう。しかし、そこから先、企業がどのモデルを追求するか、それはまずは情報を持つ当事者たる企業に委ねるべき話である。個々の企業によって追及するモデルは異なってよい。それを「我が国企業は・・・」と第三者が語るべきことではないように思う。

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