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2007年11月

東浩紀・北田暁大対談

一昨日になってしまったが、東・北田の対談を聴きに行った

標題として「現代思想の再生-ポストモダニティと公共圏」とあったが、実際は、両氏が共同編集してNHK出版から2008年4月に創刊される雑誌『思想地図』の趣旨等を語るものであった。配布されたパンフレットには、以下のように記述されている。

ゼロ年代の現代思想を俯瞰し、その限界を突破!
来たるべき10年代の知的な羅針盤を作るために、
そして、もういちど思想の力を信じられる時代を作るために、
新雑誌『思想地図』、NHKブックス別巻として2008年4月創刊。
編者は、批評界のトップランナー・東浩紀と気鋭の社会学者・北田暁大。
第一号の特集は「日本」。刮目して待て!

『思想地図』①
・巻頭言「2008年の思想地図」:東浩紀十北田暁大
・創刊シンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」:萱野稔人+白井聡十中島岳志+東浩紀十北田暁大
・特集「日本」:伊藤剛 川瀬貴也 黒宮一太 呉咏梅 白田秀彰 芹沢一也 高原基彰 中島岳志
韓東賢 福嶋亮太 増田聡の論文、そして公募論文2点!
・鼎談 国家論と日本 萱野稔人+東浩紀+北田暁大 (内容は変更になる場合があります。)

勝手ながら、両氏の対談の内容としてポイントとなりそうな点をラフに述べると、
・(赤木智弘氏等の名を挙げつつ)今は即効性のある言説が求められているが、抽象的な思想/批評も必要。そうした抽象度の高いもの、思考実験を扱う「場」をつくりたい。
・かつてサブカルを語ることと現代思想を語ることは等価であったが、90年代にそれをつないでいた政治的なもの(現実との接点を持っていた)が薄れ、サブカルと現代思想を媒介するものが失われた。そうした政治的なものを再興したい。(この点、「批評空間」は現実との接点を失い、実感派に負けて失敗した)。
・『思想地図』第1号のテーマを「日本」としたのは、①サブカル、オタクが「クールジャパン」として持ち上げられることに対して批判的に考えてみたい、②最近の議論には高度成長期へのノスタルジアみたいものがあるがこれについても考えたい、ということから。
・グローバリゼーションの時代だが、日本語の読めない外国人が(日本での日本語で書かれたサブカル論を全く知らずに)アニメ等を論じている。これには我々にも責任がある。英語圏にわれわれの考えを伝える努力をしてきたか?(ただ、こうした現象は、日本だけでなく多分世界中で起きていることだろうと思う)。『思想地図』は日本語だが、日本の論点を日本語で書くことで、普遍的にする回路ができないだろうかと思っている。
・第2号のテーマは「世代」。日本では本当は「社会対立」の問題なのにそれが常に「世代対立」の問題にされてしまう。そのこと自体を問題としたい。

なお、Q&Aの時間に、同誌の公募に落選したと思しき方々がその理由を質問していたのは御愛敬。

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夏目漱石展

ブログへの書き込みは久しぶりになってしまいました。10月からずっと風邪をひいて1か月くらい治らず、最近ようやく治ったかなあとおもったら、昨日また鼻水がタラーっと止まらなくなってしまいましたた。かなり寝たこともあって今日はだいたい治まったかといったところ。

それはともかく、江戸東京博物館で開催されていた夏目漱石展の最終日に行ってきました。ちょっと見ておきたいと思っていましたが、最近、今日が最終日だということを知り、慌てて行ってきました。

入場料がこの特別展だけで1100円というのは高いと思いましたが、払って会場へ。最終日の休日ということもあってでしょうか、結構な数の人がいました。

夏目漱石(本名:夏目金之助)について詳しく知っていたわけではありませんが、年表をメモ的に書くと以下のとおり。

1867年(慶応3年)夏目家五男とて生まれる(年齢は明治の年号と同じとなるのでわかりやすい)
第一中学正則科中退→二松学舎→大学予備門(いったん病気で落第)→東京帝国大学
神経衰弱(円覚寺へ)→松山で愛媛県尋常中学校教員、正岡子規と同居。
1896年(明治29年):熊本の第五高等学校教員。鏡子と結婚。
1900年(明治33年)~1903年(明治36年) 文部省から2年間の英国留学を命じられる(英文学)。留学費1800円+年棒300円が支給される。英国留学は船で1900年9月8日~10月28日。留学中に子規が死去。
1903年帰国、東京帝国大学と第一高等学校にて講師。華厳の滝に身を投げた一高生藤村操を、死の3日前に2度予習をしなかったことを叱責。以後、このことを気に病む。このころ千駄木「猫の家」に居住。
1907年 朝日新聞社入社。「虞美人草」を連載。評判になったらしい。
1910年 修善寺の大患。
1916年 漱石山房(旧牛込区)にて死去。四十九歳。

展示を見て気になったポイント。
・大学予備門時代の書き込みや試験(数学)の答案が英語で書かれていた。当時として当たり前だったのだろうが、英語で講義されていたということ。
・第五高等学校での英語の授業内容は結構レベル高いような感じ。Edmond BurkeのReflections on the Revolution in France(フランス革命の省察)を使用していた。
・英国留学時代に購入した英文の書物が多数展示されていた。漱石が書き込みをしている。そのなかにThus spake Zarathustra(ツルツァストラはかく語りき)があり、「多くの書き込みがあり、共感と反発が示されていた」旨の説明あり。
・「虞美人草」に登場(イルミネーション)する東京勧業博覧会は上野の森で開催されていたこと。博覧会は結構な人気だったらしい。
・漱石の写真で最もよく使われるもの(スーツ姿で椅子にすわり、首をやや右に傾け、右手で頭を支えているようなもの)は、明治天皇崩御の際に喪章をつけた時のものであること
・漱石が死ぬ直前の病床の写真が展示されていた。朝日新聞がマグネシウムをたかずに漱石に気づかれないように撮影したもの。当時、写真を撮ると病気が治るの説も信じられていたらしい。

ひとまず。

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